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【追悼メジロマイヤー】偶然に彩られた重賞初勝利「マイヤーが僕を波に乗せてくれた」【月刊 川田将雅】

  • 2022年07月28日(木) 18時01分
“VOICE”

▲川田騎手の重賞初制覇となった2006年小倉大賞典(c)netkeiba.com


川田騎手にとって最初の重賞制覇となったパートナー、メジロマイヤーが7月4日に天国へ旅立ちました。初制覇の当時はデビュー3年目、年明けからフリーに転身し1カ月というタイミングで「とても不安な時期でした」と振り返ります。

その節目のタイミングでの大きな1勝目、間違いなく川田騎手が波に乗るきっかけとなったその1勝目には幾つものドラマが用意されていました。話を聞けば聞くほど必然だったのではと思わせるエピソードの数々、そんな当時を振り返りながら“マイヤー”への想いを語ります。

(取材・構成=不破由妃子)

不思議な力を感じるほど、偶然に彩られた重賞初制覇


──7月4日、川田さんに記念すべき初重賞タイトル(2006年・小倉大賞典)をもたらしたメジロマイヤーが23歳で天国へ。川田さんも胸に迫るものがあったのではないですか?

川田 長年余生を過ごしてきた仲山トレーニングセンターの方のコメントを読んで、「ああ、とても大事にしてもらっていたんだなぁ」と思いました。幸せな馬生を送れたんだなって。ここまで100以上(114勝)重賞を勝たせてもらいましたが、そのひとつ目ですから。たとえば「67勝目って何?」と聞かれたら答えられませんが、ひとつ目だけは絶対に忘れない。

──しかも、あの小倉大賞典はデビュー3年目の2月。フリーになったばかりというタイミングでした。

川田 フリーになって1カ月というタイミングで、はたして自分はジョッキーとして生き残っていけるのか、とても不安な時期でしたね。しかも同期の(藤岡)佑介は、すでに前の年に重賞を勝っていて(2005年京都牝馬S・アズマサンダース)。

──以前、「悔しくて悔しくて仕方がなかった」とおっしゃっていましたね。

川田 デビューして数年の同期の活躍は、僕にとっては悔しいものでした。「よかったね」なんて、とてもじゃないけど思えなかったし、ましてや「同期が勝ってうれしい」なんていう気持ちは欠片もなく、悔しさと焦りしか生まれませんでしたね。とにかく生き残ることに必死だったので、余計にそういう思いが強かったです。

──小倉大賞典では、その佑介さんが騎乗したエイシンドーバーが1番人気。しかも、半馬身差の2着で。

川田 佑介はすでに、そうやって重賞で1番人気に乗れるほどの立場になっていました。ゴールに入った直後、佑介が半馬身後ろで「チキショー!!」って叫んだんですよ。初めて重賞を勝てたことに加えて、佑介の1番人気での重賞勝利を自分が阻止できたというのが余計にうれしかった。悔しがる佑介の声を聞いてさらにうれしくなって、僕は僕で「ヨッシャー!!」って雄叫びを上げました(笑)。

“VOICE”

▲2着は同期の藤岡佑介騎手騎乗のエイシンドーバー(右)だった(c)netkeiba.com


──胸熱エピソード(笑)。メジロマイヤーは11番人気の超穴馬でしたからね。まさにしてやったり。

川田 僕自身、勝てるとは思ってなかったですけどね。僕、あの日は風邪をひいていて、熱があったんですよ。だから、勝利ジョッキーインタビューのあいだも熱があるとき特有のボーっとした感じで、目は浮腫んで充血してるし、鼻水も垂れていたから、ずっと鼻をすすっていて。そんなもんだから、次の日の新聞の見出しは「涙の初重賞!」。実際は、ただ風邪をひいていただけ(笑)。

──あのレースには、思い出がたくさんありますね。

川田 実はね

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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