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【オールカマー予想】創設時とはレースの趣旨が変わったオールカマー

  • 2022年09月20日(火) 12時00分

変化したことで示されたひとつの傾向


 オールカマーというレースが創設当初どんな趣旨のものだったか、もう知らないファンのほうが多いのかもしれない。

 1955年の創設当時は「どんな馬でも出られる」というテーマを意識したハンデ戦だった。1956年の第2回は63キロから48キロまで15キロのハンデ差があった。第3回はハクチカラが65キロを背負って2着(勝ったキタノオーは64キロ)。その第3回と翌年の第4回にはアングロアラブのセイユウが出走している。そのようなバラエティに富んだレースだった。

 そんなレースのキャラクターを意識してか、1986年に中央と地方にそれぞれ交流競走が設けられる際には中央側の対象レースとなった(地方側は帝王賞)。交流初年度の第32回は名古屋競馬所属のジュサブローが優勝している。「誰が勝つか分からない」がオールカマーの面白さだったのだ。

 しかし、別定GIIとしての年数が長くなり、番組や使い方の概念が成熟したいま、オールカマーの色彩は大きく変わった。1着馬には天皇賞秋の優先出走権が与えられるようにもなり、オールカマーは「強い馬が出るレース」に変貌した。

 それをよく示すのが前走クラス別成績だ。過去10年、前走でオープン特別以下の競走に出走していた馬は[0-0-3-22]と1頭も連対していない。

 前走GIIIで6着以下だった馬も[1-1-0-27]と苦戦している。2013年1着ヴェルデグリーンのように「オープン昇級直後で分かりようがなかったが、実はポテンシャルも中山適性もあった」という馬が出てくれば別だが、そういう馬は10年に1頭出てくるかどうかだろう。

 結局いまのオールカマーは、前走GI組が強い。前走GI組全体では過去10年[6-4-2-17]。前走6番人気以下かつ6着以下という、GIではあまり勝負にならなかったケースでも[2-2-0-9]とそれなりに絡んでいる。今回の登録馬に前走GI出走馬は4頭いるが、人気にならない馬にも多少の目配りはしておきたい。

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1970年東京生まれ。競馬評論家、ギャンブル評論家。中学生時代にミスターシービーをきっかけとして競馬に興味を持ち、1990年・大学在学中に「競馬ダントツ読本」(宝島社)でライターとしてデビュー。以来、競馬やギャンブルに関する著述を各種媒体で行うほか、テレビ・ラジオ・イベントの構成・出演も手掛ける。競馬予想に期待値という概念を持ち込み回収率こそが大切という考え方を早くより提唱したほか、ペーバーオーナーゲーム(POG)の専門書をはじめて執筆・プロデュースし、ブームの先駆けとなった。

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