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【凱旋門賞回顧】日本の競馬とは違う競技──それでも日本のホースマンが欧州の頂点を目指す理由(月刊 川田将雅)

  • 2022年10月07日(金) 18時01分
“VOICE”

▲ディープボンドと挑んだ今年の凱旋門賞を振り返る(撮影:福井麻衣子)


国内から史上最多の4頭で挑んだ今年の凱旋門賞、日本馬の最先着はタイトルホルダーの11着、川田騎手騎乗のディープボンドは18着という結果に。直線に向いた瞬間は見ている者に絶望すら感じさせるほど、現地の馬との適性の差を見せつけられました。

特に毎年のように降る雨の影響は大きく、レース後のコメントでも「進んでいくことも難しい」というほどの馬場に…。しかしそんな日本陣営の表情が曇った直前の大雨もある馬にとっては恵みの雨。それほどに日本の競馬とは、同じ競馬といえど別の競技であると改めて感じたとのこと。それでも日本のホースマンが凱旋門賞へ挑み続ける訳とは。

(取材・構成=不破由妃子)

強烈な雨に打たれながらスタッフに言ったんです「笑おう」と


──川田さん、フランス遠征、そしてすぐさまの大井参戦。本当にお疲れさまでした。

川田 さすがにグッタリです…(苦笑)。でも、どうにもならないスケジュールでしたからね。

──具体的に、どういったスケジュールだったのですか?

川田 月曜日にフランスを出発し、火曜日の夕方に羽田に着いて、そのまま18時の飛行機で伊丹に飛び、家に着いたのが21時10分。翌朝は4時50分に起きて、アートハウスやほかの馬の追い切りに乗ってから大井に行きました。で、東京盃のあと、すぐにこっちに帰ってきて、家に着いたのが深夜の12時半。今朝(木曜日)も4時50分に起きて、3頭の調教に乗って…。

──で、この取材と(苦笑)。申し訳ない…。

川田 大丈夫ですよ(笑)。

──そんなスケジュールのなかでも、東京盃をきっちり勝つあたりが川田さん。

川田 僕がどうこうではなくて、頑張って走ってくれたのはレッドルゼルですから。それに、忙しいのはありがたいことです。

“VOICE”

▲5日に行われた東京盃をレッドルゼルで勝利(撮影:武田明彦)


──さて、今回のテーマは凱旋門賞の回顧。関係者の方々が口を揃えていますが、とんでもない馬場だったそうですね。

川田 前日に馬場を歩いたときは、これならまだ我慢できるかなという馬場でした。でも、夜中に雨が降って…。当日も一周回って確認しましたが、その時点でだいぶ厳しい馬場に変わっていましたね。前日まであった仮柵を外してきれいな馬場で…ということで、実際にその通りなんですが、凱旋門賞までに3レースが組まれていた。となると当然、馬場は掘られるわけですよ。

 その掘られた状態の馬場に、あの強烈な雨が降ったんです。馬場の表面が濡れたとかそんなレベルではなく、掘られたところに雨が溜まっていったわけですよね。馬場を言い訳にはしたくないけれど、日本では決して経験できない馬場だったのは事実です。

──日本の重馬場、あるいは不良馬場との決定的な違いは、どういうところにありますか?

川田 簡単に言うと

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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