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ジョージワシントンの、不思議な癖

  • 2006年05月09日(火) 23時55分
 6日(土曜日)にニューマーケットで行われた2000ギニーを制したジョージワシントンは、一挙手一投足が印象的であった。

 今年に入って行われた2つの主要な2000ギニー前哨戦、ニューマーケットのG3クレイヴンS(4月20日)とニューバリーのG3グリーナムS(4月22日)。前者を、2歳時ソマーヴィルS・2着やシャンパンS・3着といった成績のあるキリーベックスが、後者を、2歳時G1ミドルパークS・2着やG1フェニックスS・3着の実績があるレッドクラブスが制覇。2歳時の成績がひと冬越してもそのまま反映される結果に終わったため、2歳時G1フェニックスS・8馬身差勝ちを含め重賞3勝のジョージワシントンが信頼に足る本命馬であることは、多くの人がわかってはいた。だが、それにしても勝ち方が鮮やかだったのだ。

 この快勝に、ほっと胸をなで下ろしたのが、管理するエイダン・オブライエンだった。今季は厩舎の出足が鈍く、3月25日に英愛で芝平地シーズンが開幕してから、2000ギニー前日までわずかに2勝。7%に満たない勝率だったのだ。ことに4月15日にレパーズタウンで2勝を挙げて以降は、英愛仏の各国で行われた3歳クラシック前哨戦を含めて、オブライエン厩舎所属馬は20連敗。4月15日に勝った2頭はいずれも牝馬だったから、牡馬は開幕から6週にわたって1勝も出来ないという、リーディングトレーナーとしては大スランプと言っても過言ではない状態だったのである。

 もっとも、2000ギニー3頭出しだったオブライエン厩舎。残る2頭のホレイショネルソンとフロストジャイアントは、それぞれ7着と13着に敗退。2000ギニーの翌日に行われた1000ギニーでも、オブライエンが送り出した1番人気のランプルスティルトスキンは7着と大敗しているから、厩舎としては不振を脱したとは言い難い。逆に言えば、そんな中でよくぞジョージワシントンのみが本領を発揮できたものと、益々もってその勝利の価値を高く評価したくなる状況なのであった。

 気性的に難しさのあるジョージワシントン。2000ギニーの前もなかなか装鞍をさせず、不安のあるゲートまでオブライエン師とヘッドラッドの2人が心配そうな顔で付き添って行ったところまでは、いつもの事だったが、レース後に彼がとった行動にはおおいに驚かされた。馬場の入り口からの馬道を通って、パドック内の表彰エリアへ凱旋、となるはずが、ジョージワシントン君は何が気に入らなかったのか、パドックの数メートル手前でピタッと立ち止まり、いくら促されてもパドックに入ろうとしなかったのである。

 表彰エリアに入ってきたら、盛大で拍手で迎えようと待ち構えていた観衆も、これにはあ然。結局ジョージワシントンは、馬道で廻れ右をして、プリ・パレード・リングと呼ばれる、レース前に各馬が装鞍する場所に侵入。ここを通って、レースに出走する際に通るルートでパドックに入れようとしたら、ここでもガンとして立ち止まり拒否。仕方がないので、プリ・パレード・リングを2、3周した後、裁決委員の許可を得てこの場所で脱鞍し、ジョージワシントンはそのまま厩舎エリアへと消えて行ったのであった。

 2歳時にフェニックスSを勝った時にも、レース前にパドックから外に出ようとしなかった事があったが、何か気にいらないことがあると,梃子でも動かなくなる奇癖があるジョージワシントン君。オブライエン師によると、自厩舎での彼は、御主人様である自分に仕える召し使いのごとくに周囲の人間を見下しているとか。だが、「馬場で一生懸命走ってくれれば、それ以外のことは大目に見ないとね」と、オブライエン師自ら、ジョージワシントンの召し使いという境遇に甘んじているそうだ。

 強いだけでなく、特異なキャラクターをもつジョージワシントン。スーパースターの座に限りなく近い存在と言えそうだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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