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【小牧親子対談】「すごいでしょ? こんなこと誰も思いつかんでしょ? 」加矢太騎手の“今”をつくった父の閃き/第2回

  • 2023年02月21日(火) 18時01分
“太論”

▲太騎手×加矢太騎手、親子対談第2弾!(撮影:桂伸也)


小牧太騎手・加矢太騎手による親子対談第2弾。今回は、加矢太騎手の子供時代に焦点を当て、障害専門のジョッキーとしてデビューするまでの心の変遷に迫ります。また、加矢太騎手に障害限定免許を勧めたのも父・太騎手の思いつきであり、いわく「親父はホンマによく閃く」。そんな太騎手の“最新の閃き”情報ほか、デビューから間もなく1年が経とうとしている加矢太騎手の心の変化が明かされます。

(取材・文=不破由妃子)

親父は本当によく閃く……何を考えているのかわからん(苦笑)


──息子が自分と同じ世界に進んで、こうして仕事の話をしながらお酒を酌み交わして。小牧さん、幸せですね。

 そうやね。

加矢太 でも、いつか一緒に飲んだとき、親父に「幼少期は、人として(姉の)ひかりに期待してた。お前は母ちゃんの足の後ろに隠れているような子だったから、ひとつも期待していなかった」って言われた…(苦笑)。

──ひどい!

加矢太 子供の頃に同じことを言われたら傷ついていたかもしれないけど、大人になってから言われたので、そこまでショックじゃなかったですけどね。

 ひかりはすごく足が速かったけど、加矢太の場合、なにが特出しているのか、全然知らんかったから。

加矢太 確かに、姉ちゃんのほうが目立ってたよね。

ひかり 私は早熟、加矢太は晩成。それだけのこと(笑)。

加矢太 姉ちゃんは走るのも速いし、ケンカも強いし…。俺、何度ボコられたことか(笑)。姉ちゃんに鍛えられたおかげで、こんなに打たれ強くなっちゃって。

“太論”

▲「姉ちゃんに鍛えられたおかげで、こんなに打たれ強くなっちゃって」(撮影:桂伸也)


──そんな加矢太さんが、障害馬術で正真正銘の日本一になったわけですからね。お父さん、謝らなくちゃ。

 ホンマやね。でも、10年以上前やったかな、初めて加矢太の大会を見に行ったんやわ。

加矢太 確か中学1年のときの鶴見緑地の大会やね。

 そうやったかな。そこで初めて見て。そのとき、ほかの選手とは違うことをやって、優勝したんや。「あれ? こいつ何者や」と思ったもん。

加矢太 大げさ(笑)。親父が知らな過ぎただけや。

──ほかの選手とは違うことをやったというのは?

加矢太 決められた障害を順番通りに飛ばないといけないんですけど、内から攻めても外から攻めてもいいんです。で、内から回るのは難しくて、外から回るのは簡単なんですよ。だから、みんなは外を選ぶんですけど、そのときの僕は内から攻めることを選んで、勝負にいったんです。

 それまでは、そこまで真剣に馬術に取り組んでいるとは思ってなかった。でも、あの大会の加矢太を見て、「これはすごいな」と思ったんや。そもそも、まさか馬の道に行くとは思わんかったけどね。

“太論”

▲「まさか馬の道に行くとは思わんかった…」(撮影:桂伸也)


──でも、その2年後には、JRAの騎手免許試験を受けたわけですから。

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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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