スマートフォン版へ

「自らの騎乗馬の馬券を購入していた疑い」香港ジョッキークラブでブラジル人騎手が長期騎乗停止処分に

  • 2023年05月17日(水) 12時00分

香港競馬法の59条3項に違反


 香港ジョッキークラブは12日(金曜日)、ヴァグネル・ボルヘス騎手とシルベストル・デソウサ騎手という二人のブラジル人騎手に、それぞれ12カ月と10カ月の騎乗停止処分を課したことを発表した。両名とも、香港競馬法の59条3項に違反したことが理由だ。

 59条3項とは「免許を交付されているいかなる騎手も、開催されているレースの馬券を買うこと、あるいは、馬券を買うよう勧める行為を行なってはならず、馬券を買うことに興味をもつことも禁じる」という内容だ。

 両名がこれに抵触されたとされているのが、4月26日にハッピーヴァレイ競馬場で行われた開催の、第6競走に組まれていたクラス3のハンデ戦「コリア・レーシング・オーソリティ・トロフィー(芝1800m)」で、ボルヘス騎手は自らの騎乗馬ヤングブリリアント(セン4、父ヘルメット)の馬券を、何らかの形で購入していた疑いをもたれ、デソウサ騎手はこれを唆した疑いがもたれている。

 結果的に、単勝18倍の8番人気だったヤングブリリアントは7着に敗退。同じレースに出走していた、デソウサ騎手騎乗のサティリカルグローリー(セン4、父ソーユーシンク、19倍の9番人気)は、11着に敗れている。

 香港ジョッキークラブの発表したコメントによると、同クラブの懲罰部門からの告発があったとして、当該競走の内容を吟味。レースは、デソウサ騎手騎乗のサティリカルグローリーが逃げ、ボルヘス騎手騎乗のヤングブリリアントが2番手を追走。そのままの態勢で直線を向いた後、残り200mで両馬ともに脚をなくし、馬群に沈むという競馬だった。

 裁決委員はこのレースに関して、両騎手ともに最良の着順を得ることに全力を尽くす騎乗をしていたことが確認出来たとした一方で、59条3項とは公正確保の根幹にかかわる問題であるとして、両名から事情聴取を行った上で、それぞれの処分を決定したとしている。

 香港では2018年にナッシュ・ローウィラー騎手が、外部の人間に予想を提供する見返りとして、金品を受け取っていたとして、15カ月の騎乗停止処分を受けているが、ボルヘス騎手とデソウサ騎手への停止期間は、近年ではこれに次ぐ長期のものとなっている。

 ヴァグネル・ボルヘス騎手は、ブラジルのリオデジャネイロ地区で09-10年シーズンに騎手デビュー。翌シーズンには年間374勝という、ブラジルにおける見習い騎手の歴代最多勝記録を樹立して、見習い騎手チャンピオンとなった。翌11-12年シーズンに、自身初となるリーディングを獲得。これを皮切りに、4度にわたってリーディングの座に就いている。

 香港における初勝利を挙げたのは20年3月で、21年4月にアメイジングスターに騎乗してG2スプリントCを制し、香港重賞初制覇を果していた。

 一方、シルベストル・デソウサ騎手は18歳の時に祖国でデビュー。サンパウロ地区の見習いチャンピオンとなった後、22歳の時に欧州に渡り、愛国のダーモット・ウェルド厩舎で攻め馬手の職を得ている。

 2年後に英国のノースヨークシャーにあるダンディ・ニコルス厩舎に移籍。2006年1月1日にサウスウェル競馬場で行われたメイドンを、ニコルス厩舎のソニックアンセムに騎乗して制し、英国における初勝利をあげた。

 2010年に自身初の年間100勝を達成。2011年にリーディング第2位まで昇りつめると、翌2012年からゴドルフィンと契約。2014年にはアフリカンストーリーに騎乗してG1ドバイワールドCを制している。

 ゴドルフィンとの契約が終了した後、2015年に自身初めてとなる英国リーディングのタイトルを獲得。2017年、2018年にもリーディング首位に立っている。

 2015年、欧州のシーズン終了後に香港で騎乗。2018年にはグロリアスフォーエヴァーに騎乗してG1香港カップ制覇を果している。

 今シーズンはここまで45勝をあげ、香港リーディングの第5位につけていた。

 騎乗停止処分が通達された3日後の5月15日(月曜日)、両騎手のうちシルベストル・デソウサ騎手が、処分を不当として香港ジョッキークラブに提訴を申し立てた。

 同騎手の弁護人を務めるハリー・ステュワート・ムーア氏は、「提訴したことは確かだが、現段階ではそれ以外に申し上げることはない」とコメントしている。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング