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浦河産馬、9年ぶりのダービー制覇

  • 2006年05月30日(火) 23時49分
 日本ダービーが終わった。皐月賞を制したメイショウサムソンが1番人気という重圧をはねのけての二冠達成となり、同時に、我が浦河町にとっても9年ぶりのダービー馬が誕生したことになる。97年にサニーブライアンが逃げ切って勝利を収めて以来のダービー優勝馬。ずいぶん長い9年間だったと思う。

 そう感じるのは、いかにこのところ日高の生産馬が3歳馬のGIで苦戦を強いられていたか、ということに尽きる。とりわけ日本ダービーは、96年のフサイチコンコルドから昨年のディープインパクトまでの10年間というもの、社台グループの独壇場に終始していたからである。

 10年間で、日高の生産馬が優勝したのは前記サニーブライアンとタニノギムレットのみ。ともにブライアンズタイム産駒である。しかも、タニノギムレットは、日高でも有数の実績を誇る名門牧場の生産なのだ。日高の多くの中小牧場にとって、近年ますます日本ダービーは「手の届かぬ遥か遠い雲の上の存在」になりかけていた。それに追い討ちをかけるようなサンデーサイレンスの猛威。ほとんど日高で「社台=サンデー」に対抗し得る種牡馬は、ダービーに関しては唯一ブライアンズタイムくらいのものだが、それも今年で21歳。決して若くはないのである。かつて、日高管内の中でダービー馬を生産し合っていたような時代が長かったが、確実にサラブレッド生産の主流が軸足を移動させつつあることを実感させられる10年間だったとは思う。

 そして今年の日本ダービーもまた、相変わらずの「社台包囲網」とも表現すべき出走メンバーで、18頭中10頭が社台グループの生産馬で占められた。さらに種牡馬ではもっと「寡占度」が大きくなって、日高の生産馬ながら種牡馬は社台スタリオン繋養馬という出走馬も少なくなく、父母ともに社台色のない出走馬は本当にごく数頭しかいない状態になっていた。

 メイショウサムソンは、そんな中の「貴重な一頭」だった。父オペラハウスに母マイヴィヴィアン(その父ダンシングブレーヴ)。母は未勝利、祖母は1勝馬。名牝ガーネットの系統を受け継ぐ、いかにも日高にたくさんいそうな繁殖牝馬である。

 メイショウサムソンの場合、おそらく当歳から1歳までの時点では、将来ダービー馬となるなどとは誰しも予測できなかっただろうと思われる。生れ落ちた牧場がどこか違うところならば、下手をすると地方競馬行きにさえなっていたかも知れない。

 オペラハウスにダンシングブレーヴ。何という重厚長大型の血統だろう。浦河産馬に愛着を感じておられる(らしい)オーナーと関西の名伯楽に見出され、いわばいくつもの幸運が重なってこの馬は第73代のダービー馬となった。と同時に、日高の多くの生産者への大きな励みともなったと言えるだろう。決して「手の届かぬ血統」ではない。現にメイショウサムソンが皐月賞を制する4月上旬まで、父オペラハウスは「配合申し込み受付中」であった。しかも今年度の種付け料はわずか50万円。これほど強烈なアンチテーゼがまたとあろうか。

 名牝と名種牡馬との組み合わせから名馬の生まれる確率が高いのは世の常識だが、今回のダービーは必ずしもそれがすべてではないことを改めて教えられた気がする。メイショウサムソンの購買価格は仄聞するところによれば800万円とも伝えられる。もちろん、どこで育成され、どこの厩舎に入るかによりまたかなりその後の運命は変ってくるのだが、これは生産者のみならず、大多数を占めるであろう所有頭数の少ない一般的な馬主にとっても一つの朗報となっただろう。800万円の1歳馬ならば、日高の市場ではざらにいるのだ。多くの馬主にとっても決して手の届かぬ馬ではなかった、と改めて強調したいところだ。

 さて、最後にもう一つ。関東馬の不振についてである。藤沢和厩舎のジャリスコライト以外の17頭がすべて関西馬というのはいかがなものか。サンデーサイレンスとも社台グループとも無縁のメイショウサムソンが、ベテラン石橋守騎手を鞍上にしてダービーを制覇したことで関東の関係者も何かを感じるところがあるはずだ。関東馬のダービー優勝は、サニーブライアン以降1頭もいない。以前(といってももうかなり前のことになるが)のように、関東馬と関西馬の実力が拮抗するようにならなければ競馬人気の復活はあり得ないのではないか。あまりにも東西の格差がついてしまったことにも競馬人気の低迷する原因があるはずだと改めて感じた次第である。関東馬の巻き返しを切に望むところだ。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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