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ゴドルフィンの懊悩

  • 2006年06月06日(火) 23時50分
 先週後半に行われた英国3歳クラシックのオークスとダービー。人気実力ともにナンバーワンのフランキー・デットーリ騎手は、オークスがジョン・ダンロップ厩舎のタイムオンに乗り6着、ダービーはフランスのアンドレ・ファーブル厩舎のリンダズラッドに乗り9着と、いずれも着外に終わった。ことダービーに関しては、これが通算14回目の騎乗だったが、95年にタムレに騎乗して2着となったのを最高着順に、いまだ勝ち星がない。フランキーほどの名手が競馬界最高の名誉を手にしていないという事実は、競馬サークルの七不思議の1つになりつつある。

 さて、オークスとダービーにおけるフランキーの騎乗を御覧になって、おやっと思われた方も多いであろう。フランキーと言えば、シェイク・モハメド率いるゴドルフィンの主戦であり、ゴドルフィンの専属調教師はサイード・ビン・スルールである。オークスでもダービーでもフランキーがビン・スルール厩舎以外の馬に乗っていたことは、何を意味するか。なんと、あの巨大軍団ゴドルフィンが、オークス、ダービーのいずれのレースにも、1頭の出走馬も居なかったのである。

 これは、ゴドルフィンが本格稼働をはじめた94年以降では初めてのことになる。まさに、組織始まって以来のピンチと言えよう。

 今季のゴドルフィンは、3月のドバイワールドC開催では、エレクトロキューショニストがメインのワールドCを制した他、ディスクリートキャットがUAEダービーをぶっちぎって勝ち、華々しいスタートを切った。そしてアメリカでも、シェイク・モハメドの自家生産馬バーナーディーニがプリークネスSを制し、殿下に初めての北米3歳クラシックをもたらすなど、大きな成果もたらしている。ところが、英国のニューマーケットにおけるオペレーションだけが、極端な不振に陥っているのである。

 例年英国におけるキャンペーンは、5月第1週のギニー開催からスタートさせるゴドルフィン。その後4週間が経過し、イギリスにおける勝ち星は、ノッティンガムのメイドンでアビシュカが挙げた1つのみで、残る馬たちは尽く敗退。それも、2000ギニーに出走させた前年のG1ジャンルクラガルデル賞2着馬オペラケイプが14頭立ての14着。ダービー候補と目論んでいた前年のG1レイシングポストトロフィー勝ち馬パレスエピソードが、前哨戦のG2ダンテSで6頭立ての6着。アスコットのゴールドCを目指していたザギーザーとチェリーミックスが、前哨戦のG2ヨークシャーCで7頭立ての5着と6着に沈むなど、大きな期待をもって送り出した馬たちによる、目も当てられぬ大敗が繰り返されたのである。

 5月29日(月曜日)にゴドルフィンは、当面全ての馬の出走を見合わせることを表明。表面上、馬たちには問題がないように見えるものの、感染症の可能性などを含めて、各馬が競馬場で全く力を出せない原因を徹底究明しようとということになった。

 英国ではあと2週間ほどで、王室主催のロイヤルアスコットを迎える。ロイヤル開催は、モハメド殿下が英国で最も重きを置く開催の1つであり、ビン・スルール調教師も過去に27勝と、得意にしている舞台だ。新装となったアスコットで開かれるロイヤル開催に、ゴドルフィン・ブルーの勝負服がトップフォームで戻って来られるかどうか、関係者とファンの注目が集まっている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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