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シンデレラの誕生と大物の復活

  • 2006年07月25日(火) 23時50分
 先週末のアメリカ競馬は、「大物の復活」と「シンデレラの誕生」がキーワードとなった。

 まずは、甦った大物のお話から。

 22日(土曜日)にカリフォルニアのデルマーで行われたG2サンディエゴHを、4歳牡馬ジャコモ(父ホーリーブル)が優勝。昨年のケンタッキーダービー以来実に1年2か月振りの勝ち星を挙げた。

 05年のケンタッキーダービーを、レース史上2番めの大穴となる単勝51.3倍(14番人気)というオッズで制したジャコモ。そうでなくても当時の激走をフロック視されていたこの馬が、続くプリークネスSでは9.3/4 馬身、ベルモントSでは17.3/4馬身も勝ち馬から離された敗戦を喫すると、早くも近年最弱のダービー馬などという陰口が囁かれる様になった。故障で戦列を離れ、今年はじめに復活した後も、G2ストゥルブSが勝ったハイリミットから5馬身遅れた3着、G1サンタアニタHが勝ったラヴァマンから11.1/2馬身遅れた5 着と敗れ、もはや復活への糸口すら見出せない状態が続いていた。

 だが、陣営はここに至ってようやく、原点に戻ることに気付いたようだ。ジャコモの武器は、ケンタッキーダービーを20頭立ての18番手という位置から差しきった末脚である。ダービー馬の看板を背負ったことで、以後は横綱相撲をとろうとしていたジャコモが、サンディエゴHではぎりぎりまで追い出しを我慢して末脚勝負に出たのだ。逃げたプリーチングアットザバーが2着に粘ったように、流れは決して追い込みに向いたとは言い難かったが、一瞬の脚に賭けたケンタッキーダービー馬が見事に差しきり勝ち。このあとの目標は、夏のデルマーの名物レースG1パシフィッククラシックとなろうが、サンタアニタH、ハリウッドGCに続く、西海岸古馬主要G1完全制覇を狙うラヴァマンにとっては、目障りな存在が復活したと言えよう。

 さて一方、シンデレラが出現したのは、東海岸のニューヨークである。同じく22日(土曜日)にベルモントで行われた、ニューヨークトリプルティアラの最終戦G1CCAオークスを制したワンダーレディーアニーエル(父リアルクワイエット)こそが、そのシンデレラであった。

 王様に見出されるまで、その美しさが認められることがなかったシンデレラ。ワンダーレディーアニーエルもまた、若かりし頃にその資質を見抜いた者はほとんど居なかった。彼女が初めて公開の市場に出されたのは彼女が当歳時の11月で、キーンランド・ノヴェンバーセールに上場された彼女が売却された価格はわずか3500ドル、日本円で40万円程度であった。更に、ここで彼女を買った馬主も彼女を長く手元に置いておこうとは思わなかったようで、1歳8月にフロリダで行われたOBSオーガストセールに上場された彼女は、今度は8000ドル、約92万円という価格で新しい馬主の所有馬となった。

 その、100万円に満たない金額で2度も売却されていた馬が、なんとG1ホースとなったのだ。

 良血馬や素質馬には市場でも高い評価が与えられ、そんな期待馬に大きな投資を行った馬主にはそれなりの報いがあるべきなのが競馬である。しかし一方で、こんな、マーケットでは見向きもされなかった馬が、高馬を向こうに廻して大出世をすることもあるのが、競馬の醍醐味と言えよう。

 彼女のシンデレラストーリーがどこまで続くかに注目したい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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