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ブリキの男は鉄人だった

  • 2006年08月15日(火) 23時55分
 アメリカ・イリノイ州のシカゴ近郊にあるアーリントン競馬場で、ジャパンCと同じ年に創設された国際競走の古株、第24回アーリントンミリオン(G1、芝10ハロン)が行われた。

 過去23回のうち7回、ヨーロッパ勢が制しているこのレース。今年も、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツの4か国からこの路線の強豪が遠征したが、勝ったのは地元の8歳セン馬ザティンマン(父アファームド)で、上位5着までアメリカ調教馬が独占するという、地元勢の圧勝に終わった。

 2002年のクレメント・ハーシュ・メモリアルTC以来、実に4年振りのG1制覇を果たしたザティンマンは、日本でもお馴染みの名伯楽リチャード・マンデラ師の管理馬。若駒の頃、屈腱炎の気配があったためにデビューが3歳秋まで遅れたり、球節炎のため6歳10月から7歳12月まで1年2か月にわたって休養を余儀なくされたりと、艱難辛苦を乗り越えてのミリオンレース制覇となったが、こうした馬を諦めずに時間をかけて立て直し、ベテランとなって大輪の花を咲かせるというのは、まさにマンデラ調教師の真骨頂と言えるだろう。

 昨年12月に長期休養から復帰したザティンマンは、軽い相手の一般戦で勝利を勝利を収めると,年が開けた1月にサンタアニタのG2サンマルコスHを勝って、03年のG2サンルイオビスポH以来となる重賞制覇を達成。好調振りを見て取ったマンデラ師は続いてドバイのG1デューティーフリーにザティンマンをぶつけ、イギリスから遠征してきたデイヴッドジュニアの2着となる大健闘を見せた。更に帰国後は、7月2日にハリウッドパークで行われたG2アメリカン・インヴィテーショナルHと、ここアーリントンミリオンを連勝と、7歳12月に復帰してからここまで5戦し4勝・2着1回という、ほぼ完璧な成績を残しているのだ。「ザティンマン」とは"ブリキの男"という意味だが、8歳を迎えて快進撃は、ブリキどころか「鉄人」と言っても差し支えない充実振りと言えよう。

 今後は、02年、03年と続けて4着になっているBCターフが、大きな目標となるはずだ。一方、惨敗に終わったヨーロッパ勢。最も期待の高かったのは、アイルランドのリーディング・トレーナー、エイダン・オブライエンが送り込んだ、昨年のBCターフ2着馬エース(父デインヒル)だったが、6着と敗れた。本来は先行力のある馬なのに、ザティンマンが作った半マイル通過50.37秒というスローペースを追いかけず、末脚にかけるという不可解なレースをしての完敗だった。イリノイ州競馬委員会は、ベットエクスチャンジに絡んだ不正疑惑騒動に巻き込まれている主戦のキアラン・ファーロンの騎乗を認めず、地元のギャレット・ゴメスがピンチヒッターとして起用されたが、主戦が乗れなかった影響は甚大だったようだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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