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ナドアルシバの2つの前哨戦報告

  • 2007年02月13日(火) 23時50分
 今週末にはダートG1のフェブラリーSが組まれ、日本でもいよいよドバイへ向けたムードが盛り上がりつつあるが、地元ナドアルシバでも先週、ドバイWCとUAEダービーへ向けた重要なプレップレースが行われた。

 8日(木曜日)に行われたのが、3歳以上によるダート1800mのG3戦マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド2である。

 ここを制したのは、英国のニューマーケットに本拠地を置くクライヴ・ブリテン師が管理する5歳牡馬カンディデイト(父カブール)だった。

 3歳1月に、ウォルヴァーハンプトンの全天候馬場で良い勝ち方をしたのに勢いを得て、ナドアルシバのUAE2000ギニーに挑み、ここで4着とまずまずの好走。欧州に戻ると今度は、ニューマーケットのG12000ギニーに出て、ここでもフットステップズインザサンドの3着に健闘。芝・ダートどちらもイケる両刀使いの若駒として、将来を期待されたカンディデイトであった。

 ところが、3歳時はその後7戦して未勝利。4歳時も前半は、ナドアルシバで芝のレースに出て勝ったかと思えば、欧州に戻ってリングフィールドの全天候馬場で勝ったりと、器用なんだか不器用なんだかわからない競馬を続けていたのだが、4歳の後半になって馬に身が入り、9月にケンプトンで行われた芝12FのG3セプテンバーSを制して、待望の重賞初制覇を果たしていた。

 5歳を迎えた今季、管理するブリテン師が緒戦のターゲットとして選んだのが8日のマクトゥーム・チャレンジ・ラウンド2で、再びダートに矛先を向けて師の戦略がまんまと図に当たって、自身2度めの重賞制覇を果たしたのである。

 今後は、3月1日のG2マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3(ダート2000m)から、3月31日のドバイワールドCを目指す予定とのことだ。

 マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド2で人気になっていたのは、3歳馬ながら1月18日のG3マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド1(ダート1600m)を制していたインペリアリスタだった。ここで再度好走するようなら、3月31日はUAEダービーではなくドバイWCに駒を進める可能性もあったのだが、残念ながらここは9着と大敗。敗因の1つのして考えられるのが「距離の壁」だけに、本番当日は矛先をゴドルフィンマイルに変えてくる可能性もありそうだ。

 9日(金曜日)に行われたのが、3歳馬によるダート1600mのG3戦UAE2000ギニーである。

 ここを制したのは、アルゼンチン産馬のアジアティックボーイだった。祖国アルゼンチンで昨年3月にデビュー2戦めのメイドンを勝ち上がった後、サンイシドロのG1グランクリテリウムに挑んで2着となったアジアティックボーイ。その後、南アフリカの名伯楽マイク・ドゥ・コック師の傘下に入り、移籍緒戦となった1月18日のナドアルシバの一般戦(ダート1400m)を勝って、ここへ臨んでいた。

 ドゥ・コック師はレース後、アジアティックボーイについて、03年に師が手掛けてUAE2000ギニーとUAEダービーを連覇したヴィクトリアムーンよりも「能力は上」と賞賛。手綱をとったジョニー・ムルタも、「自分がこれまでドバイで騎乗した3歳馬の中では、最も能力がある」と高く評価しており、相当の力量の持ち主であることは間違いなさそうだ。

 この後は、3月1日の3歳限定戦アルバスタキア(ダート1800m)から、UAEダービーに駒を進めることになっている。

 ドバイワールドC、UAEダービーとも、どの馬が日本を代表して戦うことになるのか、現時点ではまだはっきりしていないが、いずれにても一筋縄では行かないメンバー構成となることは間違いなさそうだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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