スマートフォン版へ

北米3歳の大物2頭、引退後はダーレイへ

  • 2007年06月05日(火) 23時50分
 北米の3歳トリプルクラウンは、今週末にニューヨーク州ベルモントパークで行われる12FのG1ベルモントSで大団円を迎える。

 その北米から、トリプルクラウン路線を牽引した2頭の大駒のブリーディングライツが、揃ってシェイク・モハメドの生産組織ダーレイに購買されたというニュースが伝わってきた。現役引退後は、ダーレイがケンタッキーに持つジョナベル・ファームで供用されることが決まったのは、ケンタッキーダービー馬ストリートセンスと、ダービー2着馬ハードスパンである。

 ジョン・ターフェル氏の自家生産馬ストリートセンスは、2歳時5戦2勝。デビュー2戦目のアーリントンパークのメイドンで初勝利を挙げた後、G3アーリントン・ワシントン・フューチュリティが3着、G1ブリーダーズ・フューチュリティが3着と今ひとつの成績に終わったが、強気に挑戦したBCジュヴェナイルを10馬身差で制して、一躍スターダムにのし上がった。

 今季は、緒戦のG3タンパベイダービー1着、続くG1ブルーグラスS2着と来て、5月5日のケンタッキーダービーに優勝。2冠目のG1プリークネスSでは2着に惜敗して、現在は夏以降のキャンペーンに備えて鋭気を養っている。

 父は、シェイク・モハメドの自家生産馬としてG1ドバイWCやG1スティーヴンフォスターHを制したストリートクライ(その父マキャヴェリアン)。03年に種牡馬入りし、04年に生まれた初年度産駒から、ケンタッキーダービー馬が出現したことになる。

 母ビーダズル(その父デキシーランドバンド)は、ジョン・ターフェル氏の自家生産馬。現役時代は22戦し4勝を挙げたが、重賞や特別には縁のない馬だった。ただし4勝のうち3勝はチャーチルダウンズで挙げたもので、チャーチルダウンズで行われたBCジュヴェナイルやケンタッキーダービーを制したストリートセンスの「コース適性」は、母から譲り受けたものと言えそうだ。ビーダズルは5歳まで走り、引退して最初の年に交配されたのがストリートクライだったから、ビーダズルもまた初子からいきなりケンタッキーダービー馬を輩出したことになる。

 ビーダズルの母マジェスティックレジェンド(その父ヒズマジェスティー)の兄弟に、ラファイエットSなど重賞3勝し、現在は種牡馬として活躍しているミスターグリーリーがいる牝系。

 ビーダズルは05年はイルーシヴクオリティを配合され、これをお腹に受胎した状態で05年のキーンランド・ノヴェンバーに上場され、ストリートセンスのカール・ナフツガー調教師を含む4人のシンジケートに18万ドルで購買された。更にストリートセンスが昨年のBCを勝った直後、シェイク・モハメドがビーダズルをプライヴェートで購買。ビーダズルは今年の春、父スパイツタウンの牝馬を産み、その後は言うまでもなく、ストリートクライを交配されている。

 ケンタッキーダービー2着馬ハードスパンは、2歳時3戦3勝。年明け緒戦のG3ルコンテSを6.1/2馬身差で制して無敗のまま重賞初制覇を果たし、大物出現と騒がれた。次走サウスウェストSで初めての黒星を喫して評価を下げたが、ダービーへの最終プレップとして使われたG2レーンズエンドSでは再び強さを発揮して快勝。KYダービー2着、ブリークネスS3着と惜敗を続けた後、現在は今週末のベルモントSを目指して調整されている。

 父は,大種牡馬ダンジグ。04年春を最後に種牡馬を引退(06年1月に死亡)した父にとって、最後から数えて2世代目の産駒の1頭となる。

 母ターキッシュトライスト(その父ターコマン)は、現役時代15戦4勝。ピムリコの芝12Fの特別を勝っている他、アトランティックシティの芝のG2マッチメイカーS3着の成績がある。

 ターキッシュトライストの母ダービーヴェイル(その父ロベルト)の兄弟に、74年にプリークネスSとベルモントSの2冠を制して3歳チャンピオンとなったリトルカレントがいる牝系。

 ハードスパンは、05年のキーンランド・セプテンバーに上場されたが、リザーヴに届かずに48万5000ドルでバイバックとなり、その後現在の馬主であるフォックスヒルファームスに売却されて、現役生活を送っている。

 ストリートセンスにしろハードスパンにしろ、能力の高さは既に折り紙付きだ。種牡馬事業の面で、ライバルのクールモアに遅れをとっていると言われてきたダーレイだが、着々と追撃態勢を整えつつあると言えそうだ。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング