引退競走馬のセカンドキャリアのひとつとして注目される「ホースボール」。ホースボールが持つ可能性、そして課題とはどこにあるだろうか。前編では「ケンタウロスのラグビー」とも呼ばれるホースボールの面白さや、先進国・フランスと後進国・日本の比較など、ホースボールの第一人者である西島隆史さんにお話を伺ってきた。後編では、引き続き西島さんに、引退競走馬のマネタイズの難しさ、そして「絶対、と殺には出さない」という言葉の背景にあった、忘れられない出来事について紹介していく。
日本ホースボール協会の実情
千葉県富里市にある日本ホースボール協会の練習場では競技馬をはじめ、全8頭を繋養しており、そのうち5頭が引退競走馬、2頭が引退繁殖牝馬、1頭がポニーである。ホースボールの協会員は現在24名で、施設としては乗馬の会員も30名程度いる。その協会費や会費・レッスン費などが主な運営資金になっている。ホースボールのレッスンについては騎乗時間とその後の補足なども含めてトータル1時間程度で、ホースボールの専門的な部分の他に騎乗技術そのもののコーチングも行なっているという。
「ホースボールの動きは馬にとって『背負っているリュックサックが勝手にズレてくる』ようなものです。馬のことだけを考えれば、そもそも負担の少ないズレ方ができる人にホースボールを教えるのが望ましいのですが、それでは集客や金銭面がなかなか厳しいですから、馬に乗るうえで必要な基礎的なバランスのところから教えることも多いです」
▲日本ホースボール協会 本拠地の様子(撮影:Creem Pan)
サードキャリアが生む「問題」
前回のワールドカップの際にはクラウドファンディングを行ったが、西島さんは次回の海外遠征では期日までにお金を用意できた人に絞り全て自己負担で行きたいと考えている。そして、ホースボールを自立した環境下で行うために必要になってくるのは、引退競走馬のマネタイズである。
「引退競走馬にも、ホースボールが好きな馬もいればそうでない馬もいます。ワールドカップのような大舞台に立った時に空気に飲まれてしまう馬もいるので、そのような馬たちのメンタルを鍛えることも必要にはなってきます。引退競走馬たちには、まずは頑張りすぎず、落ち着いたところでなんでもやり切るという習慣を付けていくことが必要です。そしてホースボールが、引退競走馬たちの“仕事”として理解してもらえさえすれば、セカンドキャリアとして、ある程度マネタイズはできます」あげてもらうことはできても、今のままでは日本国内でホースボールを普及させるのは難しいとも感じている。
▲日本ホースボール協会では現在8頭の競技馬が所属している(撮影:Creem Pan)
──問題となるのは「サードキャリア」のマネタイズだ、と西島さんは語る。
「何かの理由で乗馬クラブを後にした馬や引退繁殖牝馬たちのサードキャリアについては、マネタイズがまだ実験段階であるように思います。それは、競走馬のマインドのまま歳を重ねており、リトレーニングに時間を有する場合があるからです。本当は、そういう馬たちには飼養代だけでも助成金が出てくれたり、ファーストキャリアの段階で年金のような制度があれば助かるなと思います。
しかし、現状ではそういう仕組みがないので、足りない部分については自分たちのサイトの中で、功労馬サポートのような形で追加の支援を呼びかけてみるのも選択肢にはあります。先ほど申し上げたように支援ありきのキャリア形成は好ましくないとは思いますが、サードキャリアについてはこうした補助的な支援を募るのは許容範囲かと思います」
引退後、繁殖にあがる牝馬にリトレーニングを施すことはほとんどない。母としての役割を終えた後の彼女たちは、人を乗せてゆっくり歩いたり、制限された狭い中で走ったりということをあまり経験せず、我慢を覚えさせるのが難しい馬が多いという。乗馬の観点で言えば「自由気ままに年齢を重ねた馬」という見方もできる。大きな括りで言えば、彼女たちも馬事産業そのものの「功労馬」であることは紛れもない事実であるが、そういった馬たちのマネタイズは非常に困難であるといえる。また、引退繁殖牝馬に限らず、問題を抱える馬たちを引き受けることもある。
「何かの理由で乗馬クラブを後にした馬の場合には、人を故意に落とそうとする癖がかなり強い子や、一般的な乗馬クラブでの使用が難しいケガを抱えている馬かの、ほぼ二通りで、乗りこなせる人が少なくなるために、マネタイズの面でかなり厳しくなります。そういった馬には各クラブのインストラクター組に乗せて技術を磨いてもらおうと試みたりしましたが、最低限の金額しか生み出せず、苦しかったですね」
過去にLoveuma.で取り上げた角居勝彦元調教師が目指すような馬糞を堆肥として活用する選択やYogiboヴェルサイユリゾートファームに代表されるような在厩馬のグッズ展開もそんな手段の一つだと言えるが、マネタイズができている牧場や施設はまだごく一部で、リトレーニングも含めて大きな課題であると言える。そしてそんな実情から、西島さんが「忘れられない」と語る、ある出来事が生まれたのだった。
絶対、と殺には出さない
それは、脚元や性格の問題で乗馬クラブを出された馬を受け入れた時のことだ。周囲の反対はあったが、「もう他に行き場がない」と言われたことでの決断だったという。
「癖が強く初心者には乗りにくいため、うちに来てからもレッスン等での稼働数は少ない状態でした。協会員に『こういう練習も必要だ』と言っていたのですが、ホースボールの華やかな一面だけを期待していたのか、基礎練習に耐えられなかった人たちが離れていってしまい…。そのため金銭的な面がかなり厳しくなってきた時、追い討ちをかけるようにその馬が骨折してしまったんです。放牧中の事故でした」
骨折の箇所からも回復の見込みは難しく、安楽死に相当するレベルであることはすぐわかった。馬の前オーナーに連絡を入れると「最後に会いたいから自分が行くまで待ってほしい」と言われたため、安楽死の処置を引き延ばすことに。その日の夜、西島さんはその馬の馬房の横で寝泊まりをして過ごしたという。
「近くにいると馬自身の重みで折れた部分の骨が軋んで更に折れていく音が聞こえました。馬はどんなに痛くても鳴かないので、その折れていく音が、まるでその馬の悲鳴の様で…。結果として前オーナーの到着を一夜待ち、その後すぐ、獣医さんを呼んで眠らせて安楽死の処置をとったのですが、前オーナーを待っている間、本当に長い夜だったので、『助けたい』とか『早く楽にさせてあげたい』といった感情の他に、お金の計算をしてしまった自分がいたんです。
当時は様々な要因が重なって経済面の問題が限界に近かったというのは事実です。ですが、そうした背景があったとしても『この子が亡くなったらこれだけ浮くのか』とか『このタイミングで亡くなってくれて申し訳ないけれど助かった』と思ってしまったことが、本当に申し訳なかったです」
西島さんは涙ながらに思いの丈を語ってくれた。「こんな思いは二度としたくないし、してはいけない。そう思って、今いる馬たちと向き合っています」と声を振り絞る。当時のような状況は、一体どうして起きてしまったのだろうか。
「たとえばフランスだったら、そして馬文化がもっと進歩した日本だったら──あの馬にも、もっと可愛がられて、もっと活躍できる場がきっとあったのだと思います。私の場合少なくともうちに来た馬は、絶対、と殺には出さないと決めています。どれだけ人から嫌われるような性格の馬で、それが理由で乗馬クラブを出されたとしても、その子を愛してくれている人は必ずいます。僕が弱いだけかもしれませんが、こちらの都合で『ごめん、死んでくれ』とはできないんです」
▲当時の心境を語る西島さん(撮影:Creem Pan)
ホースボール協会の課題と展望
ホースボール協会の課題は「馬文化の厚みを増やすために、日本にまだ浸透していない技術や文化をもっと発信していかないといけないところ」にあると西島さんは言う。
「馬は基本的に前肢にバランスが乗りやすいですが、その状態でバランスに左右差のある人間が乗ると四肢のうち前肢の1本の脚に強い負荷がかかってしまいます。馬はその体重の割に脚が細く、強い負荷がかかると痛めやすいうえ、一度怪我をするとその脚を庇おうとするため他の脚を痛めてしまいます。ヨーロッパでは馬を痛めないための体重扶助、1肢にバランスが偏らない様にする技術や、バランスバックをさせる技術を持つ人が多い印象ですが、日本ではまだそれが浸透していません」
体重扶助とは、乗り手自身がバランスを替えることで、騎乗馬が動こうとする動きを助けることを指す。競走馬のようなフレッシュな状態の馬は走りたい気持ちが強いため、扶助しなくても走ってくれる。しかし乗り手である人間の骨格やバランスに歪みやズレがあるため、そのままの状態で乗り続けると馬自身のバランスが次第に崩れてしまうのだ。
「馬の負担にならないように、自然体で“良いリュックサック”になれるような意識付けしていかないといけないですし、日本でも競走馬から馬術、乗馬の全ての日常的に馬に跨るライダー全員がより意識を向けて身体改造をする事が馬の怪我を減らす要因になり得ると信じていますが、いきなり声を上げても理解してもらうことが難しいのは理解しています」
まずは自分たちのできる範囲のことから始め、「自分たちはこうしていきたい」という考えを少しずつ広げていきたい。体重扶助が当たり前の世の中になれば、バランスに起因する馬の怪我はもっと減るはずだ。
▲日本ホースボール協会の西島隆史さんと、妻で仕事のパートナーでもあるミナミさん(撮影:Creem Pan)
そしてその先に目指す未来には、少なくともホースボールに関わった馬について「最後まで面倒を見るのが当たり前」になった世界がある。
「預かった馬はと殺に出さず、長生きしてもらうために努力すると決めています。性格や経歴は関係ありません。人間側の都合で彼らの生き死を考えてしまう現状を打破したいですね。乗馬未経験の方も、馬に実際に触れ合ってみると、その美しさや親しみやすさに驚かれると思います」
ホースボール協会の目指す到達点は、ホースボールの魅力を多くの人に知ってもらうことだけではない。体重扶助をはじめとした技術の啓蒙・定着も、日本の馬事文化をより良いものにしていくための重要なミッションだ。当然、クリアしなくてはならない課題は少なくない。しかし、西島さんの考える「馬事文化が定着した日本」は、きっと引退競走馬にとっても住み良いものになるだろう。西島さんの戦いはこれからも続いていく。
(了)
取材協力: 西島隆史 / 日本ホースボール協会 / 国際ホースボール連盟(Federation International de Horse-Ball) / 姫野みなみ
取材:平林 健一 / 片川 晴喜
写真:平林 健一
デザイン:椎葉 権成
文:秀間翔哉
構成:緒方 きしん
写真提供:西島隆史 / 日本ホースボール協会 / Jeanne Monteis
監修:平林 健一
著作:Creem Pan
【記事監修】引退馬問題専門メディアサイト