重賞ウイナーからファンに愛されたあの馬まで、競馬から退いた後の知られざるエピソードをご紹介。
佐々木祥恵
試行錯誤を繰り返しながら考え続ける引退馬の行く末10月8日、東京競馬場で「馬たちのセカンドライフ」というイベントが開催され、競馬博物館内ではシンポジウムが、競馬場内ではイベント参加...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。10月23日(火)更新分は、取材スケジュールの都合により休載とさせていただきます。読者の皆様には...
11頭の元気がおいしいマッシュルームのもと引退した競走馬たちは、いったいどのような馬生が待っているのか。中央競馬の競走馬登録を抹消された行き先の1つに乗馬という項目があるが、実はす...
実は深いマッシュルームと馬の関係ジオファーム八幡平代表の船橋慶延さんの話を聞きながら、なぜマッシュルームは馬の堆肥を使うのだろうか?という素朴な疑問が湧いてきた。「フランス語でマッ...
意を決して進み、たどり着いた“原点”東日本大震災時は北海道の太平洋岸にも津波が押し寄せ、東北ほどではないにせよ被害が出た。船橋さんが子供を預けていた保育所が沿岸にあったことから、津...
経験豊富なジオファーム八幡平代表・船橋さんの転機とは中学生の頃から馬に魅せられた船橋さんは、それ以降、ずっと馬に関わってきた。自分の馬も所有するようになり、21、2歳の頃は大阪でト...
ここでの第二の馬生は“元気に生きること”ジオファーム八幡平、マッシュルーム、馬糞…今年の春あたりから、このワードをよく見聞きするようになった。ネット等で調べてみると、ジオファーム八...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。9月11日(火)更新分は、取材スケジュールの都合により休載とさせていただきます。読者の皆様には大...
引退馬が堂々と生きていける居場所を求めて何かことを起こそうとする時に、フットワークが軽くて行動力のある人がいないと前に進まないものだ。引退馬支援やホースセラピー活動を行っている上田...
上田さんと出会ったアイドル候補岩手競馬にアイドルホースを誕生させたい、できれば現在誘導馬不在の岩手競馬に誘導馬を復活させて、その馬をアイドルに…。ひらめいたアイデアをもとに精力的に...
闇を照らして行き先を示す、引退馬支援団体日本有数の馬産地だった東北地方。特に岩手県の遠野は南部駒の産地としても有名で、源義経の愛馬「太夫黒」も南部駒だった。現在も遠野では乗用馬の生...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。8月14日(火)更新分は、取材スケジュールの都合により休載とさせていただきます。読者の皆様には大...
経験豊富な“親分”にも意外な一面が競走馬を引退し、種牡馬生活にもピリオドを打ったライブリマウントの第三の馬生は、乗馬だった。種牡馬生活を終え、にいかっぷホロシリ乗馬クラブに移動した...
日本馬としては初のドバイ遠征へ第1回ドバイワールドCに選出されて、日本馬として初めてドバイに渡ったライブリマウント。日本を飛び立った1996年2月25日、加藤哲郎オーナーは関西国際...
冠名“ライブリ”は間違いから?!1989年に中央競馬と地方競馬の交流レースとして創設されたのが、ホッカイドウ競馬で行われているブリーダーズゴールドC(現在は牝馬限定戦)だ。当時、中...
強烈な末脚が魅力の不死鳥1993年のダービー馬ウイニングチケットとともに功労馬として繋養されているのが、2007年に高松宮記念(G1)を制したスズカフェニックス(セン)だ。2002...
世代の主役、第60代ダービー馬ヒシマサル、ダイユウサク、ニッポーテイオー。うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を過ごして天寿を全うした名馬たちの素顔を3週に渡って紹介してきた。3頭亡...
80年代の短距離路線を賑わせたニッポーテイオー有馬記念で人気薄で激走し、波乱の立役者として人々の記憶に残ったダイユウサクが余生を送っていた浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUで28...
有馬記念で大番狂わせ一瞬にしてその名を轟かせた今年3月に亡くなったヒシマサルが余生を送っていた北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUには、かつてターフを賑わせた名馬たちが他にも...
‟2代目”ヒシマサル1992年のきさらぎ賞(G3)、毎日杯(G3)、京都4歳特別(G3)と重賞3勝のヒシマサルが、今年3月6日に老衰のため亡くなった。29歳だった。ヒシ...
201〜220/443件