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萱野調教師、今でも悔しいメジロライアンの思い出 自身はG1初Vにトライ

デイリースポーツ
  • 2016年05月03日(火) 11時00分
 3月17日、メジロライアンが亡くなった。29歳の大往生だった。今はなき、名門・メジロ牧場生産のアンバーシャダイ産駒。当時、まだ若手だった横山典弘騎手とのコンビでターフを沸かせたことは有名だ。しかし、その背中を最も知る男が他にもいる。それはライアンが所属していた奥平真治厩舎で、当時調教パートナーを務めていた萱野浩二調教師(56)だ。

「重厚感のある走りをする馬だった。そういえば気が小さいところがあって、行ったことのないところだと必ず物見をしていたなぁ。あと馬場へ向かう時の地下馬道で必ず首をグッと下げる癖があって、転ぶんじゃないかと毎日ヒヤヒヤしていたよ」。毎日ライアンの調教を付けていた師は、懐かしそうに当時の思い出を話してくれた。

 26年前の1990年、3連勝で弥生賞を制して一躍クラシックの最有力候補となったライアンだが、皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着と大舞台で勝ち切れず。「ダービーを勝てなかったのが一番の思い出だな。勝てると思っていただけにね。クラシック、勝てなかったなぁ。チクショー!」。最も身近で接していただけに、今でも悔しさがよみがえる。

 それでも同期のライバルメジロマックイーンを撃破した91年宝塚記念を振り返った時は、トレーナーの頬が緩んだ。「あの時は栗東滞在をしていたんだけど、ケイコをつけていて具合の良さを感じていたよ。長距離ではマックイーンにかなわないと思っていただけに、勝つならここしかないと思っていた。そうそう、ノリがいつもよりも前の位置に行ったんだ。本当に勝てて良かったよ」。

 念願のG1タイトルを手にしたライアンだったが、この一戦後に屈腱炎を発症してしまう。だが、結果的に引退レースとなった92年日経賞で、2馬身差の快勝を決める。「晩年は脚元の関係で思うような調教ができなかった。だけど日経賞の時は強く追ったんだ。そうしたら、やっぱり強い勝ち方をしてくれたよ」。ファンの心にもライアンの強さを印象づけるラストランとなった。

 時は流れ、ライアンが亡くなった2日後の重賞・ファルコンSを先頭でゴールを駆け抜けたのは、萱野厩舎のトウショウドラフタだった。くしくも、ライアンの主戦を務めていた横山典弘騎手鞍上のブレイブスマッシュが2着に入線する“ライアン馬券”がさく裂。もしかしたら天国のライアンが後押ししてくれたのだろうか。

 トウショウドラフタは今週のNHKマイルCへ、萱野厩舎にとって開業19年目のG1制覇をかけて挑む。「もし勝ったら祝勝旅行へ行くから、翌週は美浦に顔を出さないよ(笑い)」。快くインタビューに応えてくれた明るい指揮官に、もう一度ライアンがほほえんでくれるかもしれない。(刀根善郎)

提供:デイリースポーツ

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