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【キタサンブラックのルーツを探る・後編】最後の応援は思いを込めて「ありがとう」

デイリースポーツ
  • 2017年12月19日(火) 06時30分
 「キタサンブラックのルーツを探る・後編」

 キタサンブラックが生まれ故郷のヤナガワ牧場から、日高軽種馬共同育成公社へと移動をしたのが、2013年11月12日。同育成トレーニングセンターは1972年、現在の北海道新冠町で創業。当時から日高地方では最先端の調教施設をそろえ、これまであまたの重賞勝ち馬を手掛けてきた。

 漆原和幸業務課長はキタサンブラックの入厩当時を「結構、体高のある馬でしたね。体重も増えてはきていたけど薄い印象。血統的なことも考えれば、どちらかというと距離は持つ短距離馬のような感じとも思えましたね」と振り返る。

 同年代の馬たちは、早ければ夏場あたりから入厩をしており、調教進度は遅い組であった。「入厩してから熱発もなく本当に手がかからない馬でした。賢くてマイペース。普通の馬は入厩すると環境の違いで何かしらあるのが多いのですが、この馬は違っていましたね」。そう明かした課長は「清水久先生が何度もこちらを訪れて『トモに緩いところがあるので慌てないでゆっくりやりましょう。オーナーもそう言ってくれてますので』と。おかげでやりたい事は全てやれましたね」と、周囲の理解のもとに競走馬としての鍛錬を歩み始めたと話す。

 施設の進化が、ブラックの育成を力強く後押しした。12年7月に2本目の坂路が完成。新坂路の全長は800メートルほどで傾斜は3〜4%。しかし、この坂路は本馬場と直接つながっており、合計した全長は2000メートルにもなる。「ウチの坂路は砂が深いので調教の負荷は相当かかるんですよ」。ブラックは1歳時の馴致(じゅんち)に時間をかけ、翌年1月半ばから屋内馬場で調教を開始した。「本当に乗りやすい馬でしたね。馴致のころはベテランに任せていたけど、クセのない馬なので後半は若手に乗ってもらうことにしました。若手はいろいろと(馬に)教えられたと思いますよ」と、牧場内では評判の模範生だった。

 優等生のイメージばかりが漆原課長の脳裏をよぎるが、今年の天皇賞・秋で衝撃を覚えた。迫るサトノクラウンとのデッドヒート。「数多くあの馬のレースを見てきたけど、あの時は驚きましたね。賢い馬に加えてあれだけの闘争心があるとは」と驚いた様子だ。

 今はブラックとの巡り合わせに感謝の思いしかない。

 「ここまでG1を勝つ馬になってくれるとは。ウチの施設から名馬が出たことでスタッフにもやりがいが出ました。一時、預託馬が少なくなった時があったけど、そんな時にも北島オーナーには馬を預けていただいていましたから。この結果には本当に良かったと思うばかり。最後もオーナーには喜んでいただきたいし、牧場としても『ありがとう』という気持ちで応援したいです」

 12年3月10日、風光明媚(めいび)な日高の町で生を受けたスターホースは、クリスマスイブの有馬記念を最後に競走馬生活の幕を下ろす。種牡馬という“第二の馬生”を前に、最高の贈り物を届けてくれるに違いない。(完)

提供:デイリースポーツ

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