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壮絶だったメイクアップの最期 現場のリアルな声を伝えたい

デイリースポーツ
  • 2019年11月26日(火) 18時02分
 競馬にギャンブルという側面がある以上、心ない一部のファンからの誹謗(ひぼう)中傷等は避けられないのかもしれない。だが、実際の現場は常に死と隣り合わせ。最前線で働かせてもらっている身として、リアルな声を少しでも伝えられればと思い、筆を執った次第だ。

 19年6月15日。東京競馬場。第4R障害未勝利戦。個性的な“白面”で人気があったメイクアップが、障害飛越後に故障を発症し、2周目3コーナーで競走を中止。暴れるように減速したその姿から、危険な状況であることは火を見るよりも明らかだった。

 移動バスの中のラジオで競走中止の一報を聞いた厩務員の木埜山賢(栗東・谷厩舎)は「ここで降りる!」と懇願。だが、無情にもその思いは届かず、皆と同じくスタンドで降ろされた。係員からは「診療所の前で待つように」との指示。その間、獣医師からは「厳しいかも知れません」と聞かされていたが、無線から漏れた声は、現実を直視せざるを得ないものだった。「馬が痛がって、馬運車に乗りません!」。血の気が引き、頭の中が真っ白になった。

 診療所前に馬運車が到着。通常、こういう事故が起きた場合、獣医師は担当厩務員がショックを受けないよう、立ち合いを遠慮するように促すという。だが、木埜山はその場に居合わせた女性の獣医師に面会を懇願。「どうしても会わせてほしい。まだ息があるうちに謝りたいから…」。その熱意に、女性獣医師はメイクとの面会を許可した。

 実は、木埜山と私の出会いは今から25年ほど前。某競馬新聞社の先輩、後輩という間柄であり、右も左も分からぬ私を優しく世話してくれたのが木埜山だった。当時から「俺、競馬学校を受験する」と内密に聞いていたが、本当にその夢をかなえた時には驚いた。トラックマンから厩務員へ転身-。トレセンでは“変わり種”と言える存在だろう。

 94年。競馬学校入学前に、中山競馬場乗馬センターで修業をしていた木埜山は、それと平行して獣医師の補佐をするアルバイトをしていた。1番の仕事は“目洗い”。レースを終えた競走馬の眼を洗う作業だ。

 時として、獣医師の補佐は悲しい現実に直面する。木埜山はその間、30頭近くの安楽死を見てきた。

 「診療所には寛(かん)馬房というのがあるんだ。普通のが3、4馬房あって、その一番奥に1つあるのがそれ。普通のよりも2倍ぐらいの広さで、前扉は観音開き。トラックが直接入れるようにもなっていて、倒れた馬をウインチとチェーンで引っ張ることもできる。検査の結果、駄目だった馬はそこで最期の時を迎える。アルバイトの子が、せめてもの思いで白湯をあげたりするんだけど…かわいそうで、初めはショックだった。その後、仏壇に線香をあげて、タテガミを切って、蹄鉄を外して。それを袋に入れて担当者に渡すんだけど、あれを見て“俺、本当に厩務員になれるかなあ”って迷った時期もあったよ。でも、覚悟を決めてこの世界に入った」

 馬運車で診療所に運ばれ、再会したメイクは「俺が今まで見てきた中でも一番ひどい状態。壮絶だった」。左第1指関節開放性脱臼。車内では右側を下にして倒れ込み、あまりの痛みに立つこともできない。あたり一面は血の海。あの個性的な白面も鮮血に染まっていた。「何とか生かしてほしいと思っていたけど、すぐに無理だと分かった。このまま楽にしてあげた方がいいと…」。最期の処置をする際、馬が暴れることもあるという。だが、すでに観念していたのか、メイクは実におとなしく、次第に体が硬くなり-。「ごめんな、ありがとう…」。涙に暮れる木埜山に見守られながら、静かに息を引き取った。

 振り返れば、常に痛みを抱えた馬だった。2歳の暮れ。右脚の飛節が腫れたメイクは、馬房の奥に尻をもたれかけて動かない。

 「フレグモーネでも、傷口から菌が入るのではなく、傷がないのに脚が腫れる稀なケースで。一歩でも動くと激痛が走るから、あの体勢が楽だったんだろうね。カイバも水も桶まで届かないから、朝昼晩とメイクの口元まで桶を持っていって。良くなるまで一週間ぐらいかかったかな。でも、やっと治ったと思ったら今度は反対の脚が腫れて…。一週間、また同じことの繰り返し。ただ、そこで絆が深まった感じがする。馬っ気や気難しい面が目立っていたメイクが、俺の言うことを聞くようになった。認めてくれたのかな」

 恩返しするかのように、メイクが優しさを見せる場面もあった。16年夏の札幌競馬場。木埜山は突然、体調を崩し、ついには41度もの高熱が出て緊急入院することになった。検査の結果、リウマチ性多発筋痛症という難病であることが判明。投薬治療が奏功し、わずか一日で職場に復帰できたものの、だましだましの状態で仕事を続けていた。その時だった。

 「引き運動の際、心配してくれたのか、メイクが俺の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれた。そんな馬は今まで見たことがない。しかも、俺がそんな状態でメイクの世話が行き届かない中、翌週のワールドオールスタージョッキーズを勝ってくれて。あの勝利は一生忘れられない。本当に賢い馬だった」

 あの日に戻れるものなら、時間を巻き戻したい。だが、いくら悔やんでも、メイクはもう帰ってこない。今でも罪悪感にさいなまれる。

 「筋注(筋肉注射)って相当痛いんだけど、メイクはトモにしょっちゅう打ってた。しんどかったと思う。しかも、最後の最後には死ぬほど痛い思いをさせてしまって…」

 だが、ふと現実を見れば、木埜山にはまだ幼い2人の子ども達がいる。覚悟を決めて入ったこの世界。つらくとも、前に進むしかない。

 「メイクが息を引き取った30分後、寛馬房へ行って、お線香をあげて。その後、俺、土下座して謝った。メイクが生きているうちに謝れたことがせめてもの救いかな。それがかなわなかったら、もうこの世界をやめていたと思う。だから、あの女性の獣医さんには感謝しているんだ」

 ギャンブルとしての競馬は面白い。だが、私がもっとも魅力を感じるのは、やはり人と馬との“絆”だ。勝った負けたは時の運。G1馬も未勝利馬も、競馬関係者からたくさんの愛情を注がれてきたことに変わりはない。記者の端くれとして、これからも現場とファンをつなぐツールになれたらと思う。

 最後は木埜山のメッセージで結びたい。

 「メイクを無事に引退させてあげて、誘導馬にしてあげられなかったのは無念でした。それでも、SNSではいまだにメイク宛にコメントを書き込んでくれる人がいる。素直にうれしいし、ありがたいです。応援していただいたファンの皆さまに、心から感謝しています」(デイリースポーツ・松浦孝司)

提供:デイリースポーツ

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