1月29日に2020年の交流JpnIの第一弾の
川崎記念が行われます。2006年にこのレースを制した内田騎手に、その時にコンビを組んだ
アジュディミツオーや
川崎競馬場の特徴についてお聞きしました。
――内田騎手は2006年にこのレースを制しておられますが、まずその時にコンビを組んだ
アジュディミツオーについて少し教えてください。
ミツオーには2004年9月の
日本テレビ盃で初めて乗られたわけですが、それまではどのようなイメージを
ミツオーに持っていらっしゃいましたか?
内田 逃げる競馬をして結構リードをつけて勝っていたので、すごい馬だなと思っていました。
――初めて手綱を取った
日本テレビ盃は逃げませんでしたね?
内田 馬が行きたがっていたら逃げようと思っていましたが、特にハナにはこだわっていなかったので2番手からレースを進めました。2着でしたけど、やはり走る馬だと思いました。
――その後、
JBCクラシックで
アドマイヤドンや
タイムパラドックス、
ユートピアなどの中央の一線級相手に健闘しましたね?
内田 強いメンバー相手でしたが、
ミツオーはまだ若くて伸び盛りのこれからの馬だったので、それを考えると2着という結果はすごいと思いますよ。
――内田さんとのコンビでの初勝利は、その次の
東京大賞典でした。JBCまでは内田さんとのコンビでは逃げてはいませんでしたが、このレースではハナを切りましたね?
内田 あの時は番手でもいいという気持ちでしたが、乗っていて馬とケンカをしそうだと感じたので、ケンカをせずにそのままスーッと先頭に立ちました。それがうまくいきましたし、強い競馬ができたと思います。
――翌2005年は
地方競馬所属馬として初めてドバイヘも遠征しました。
内田 ドバイはダートの質も違いますから、それを考えると6着はすごいと思います。地方代表の馬がよく健闘しましたよ。
――その年の秋3戦、中央の
ジャパンCダートを含めて勝てないレースが続きましたが、再び暮れの
東京大賞典で逃げ切り勝ちを演じ、年が明けて
川崎記念でも優勝してGI2連勝となりました。このレースでもハナを切りました。
内田 馬が行く気になっていましたからね。2100mと少し距離が長いですし、マイペースで行きたいなと思ってレースを進めました。
――川崎では2100mのレースは数が少ないですが、このコース、距離の特徴を教えてください。
内田 最初の入りのカーブがきついので、十分気をつけていかないと外に膨れてしまいます。外に膨れないような進路の取り方をしていくというのが大事です。
――では
川崎記念でも膨れないように気をつけたわけですね?
内田 はい。膨れないような乗り方があるんですよね。
――それは企業秘密みたいなものですかね?
内田 川崎の2100mでは、逃げるならこうした方が良いという乗り方、コース取りがあります。そう、企業秘密があるんです(笑)。
――
川崎記念もコース取りがうまくいって、道中も考えていた通りのレース運びになりましたか?
内田 道中のペースは結構速くなったのですけど、この馬にとってはマイペースではないかなという感じでした。
――2100mと距離が長い分、コーナーも多く回るので器用さも求められると思うのですが?
内田 そうですね。ただ逃げている分、馬が周りにいませんので、他の馬に比べるとそこは有利ですよね。
――ゴールではクビ差まで詰め寄られましたが、しのぎ切りましたね。
内田 それなりのペースで行っていたので、馬自身もスタミナを使ってはいたのだと思います。最後は力を振り絞って走っていましたが、相手も中央の馬(
シーキングザダイヤ)で力がありますから、詰めてはくると思っていました。それでも振り切りましたし、自分でレースを作って最後まで粘っていたので本当に強いと思いますよ。
――この年は
川崎記念をはじめ、
かしわ記念や
帝王賞も勝って充実した年になりましたが、乗り始めた3歳時と変わってきた点、そして長所は何でしょう?
内田 スタミナとスピードがうまく噛み合ってきたところですね。根性がものすごいところが長所です。気性はかなり荒かったですけどね(笑)。
――川崎は得意な競馬場でしたか?
内田 特に川崎がというわけではなくて、どこでも得意だと思って乗っています(笑)。苦手だと思ったら本当にそうなっちゃいますし、海外、地方、中央とどこの競馬場にもそのようなイメージは持っていません。せっかくチャンスのある馬に乗っても、コースに苦手意識を持っていたら自信のなさが出てしまいますから。
――内田騎手にとって川崎はどのような競馬場でしょう?
内田 左回りでしたけど、乗りやすいという印象があります。所属していた
大井競馬場も街中にありますし、川崎も街中にあるので、違和感なく乗れました。川崎では本当にたくさん勝たせていただきました。重賞初勝利も川崎(
ロジータ記念・
ドラールオウカン)で、地方所属時代の最後のレースも川崎でした。川崎で引退式もしていただきました。
――最後に2020年の抱負をお願いします。
内田 昨年以上に勝ち星を挙げて、関係者やファンの方が喜んでくれるような、内田に乗せて良かったと思っていただけるレースをしたいです。もちろん川崎でもたくさん乗りたいですし、また勝ちたいですね。騎手であり続ける限り、いつでも勝ちにはこだわりたいと思っています。
(取材・文=佐々木祥恵)