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五十嵐忠男師 諦めず挑戦続けた!ウインマイティーで“ラスト重賞”京都記念挑む

スポニチ
  • 2023年02月08日(水) 05時30分
 【さらば伯楽】2月は競馬界にとって別れの季節。今年も東西で5人の調教師が70歳定年制で引退し、今月いっぱいでトレセンを去る。五十嵐忠男師は騎手、調教師として50年のホースマン人生に間もなくピリオド。今週の「第116回京都記念」はウインマイティーを起用する。

 ホースマンとして歩んだ半世紀。五十嵐師は騎手として20年、調教師として30年間、全力で駆け抜けた。「長いようで短かったな。夢のある、やりがいがある仕事。この世界に入って良かった。ラッキーだったと思う」としみじみと語る。

 きっかけは偶然の出会いだった。中学の運動会。田所秀雄調教師からスカウトされた。「昼休みに校庭を走り回っていたのを見て、小さくて騎手にちょうどいいんじゃないかと」。競馬は全く知らなかった。親にも反対された。それでも「手に職をつければ一生食えると言われていた時代。話を聞いてなろうと決めた」とこの世界に飛び込んだ。

 騎手候補生となり、73年に騎手デビュー。84年の中日新聞杯アスコットエイトで重賞初勝利を飾った。「雪で芝からダート変更になって楽勝。ついていたな」。イソノルーブルはデビューから4連勝に導いた。クラシックを前に乗り替わり(オークス制覇は松永幹)となったが「割り切らんと仕方がない。信頼される腕がなかったわけやから」と苦い思い出を振り返る。

 調教師としてはJRA重賞16勝。そのうち7勝はテイエムの冠名でなじみの竹園正繼オーナーの所有馬で挙げた。「馬を見る目がある人。自由にやらせてもらえた」と感謝。オーナーから「走るよ。重賞、勝つからね」と託されたのがテイエムプリキュアだった。

 05年阪神JFは8番人気でG1初制覇。3連勝でビッグタイトルを手にしたが、そこから勝てなかった。「追い切りでは動くから諦められなかった。絶対どこかで走ると思っていたから」。復活へ考え出した大逃げの一手で09年日経新春杯V。諦めずに挑戦を続けるのがポリシーだった。

 京都記念に送り込むウインマイティーも20年秋華賞(9着)で他馬と接触して馬を怖がるようになった。調教パターンや馬具を工夫するなど試行錯誤。昨年のマーメイドSで復活の重賞初Vを飾った。「ファンの多い馬で、何回も人形やお守りを頂いた。ありがたいこと。(厩舎で)重賞を使うのは最後かもしれない。結果がついてくれば言うことなしやな」と力を込めた。

 ホースマン人生も残り1カ月を切った。「生まれ変わってもまた同じことしたい。あとは無事に次(の厩舎)へ引き継いで、そこで走ってくれたらまたうれしいね」。最後まで諦めずに勝利を目指していく。

 ◇五十嵐 忠男(いがらし・ただお)1952年(昭27)11月9日生まれ、京都府出身の70歳。73年3月、田所秀雄厩舎所属で騎手デビュー。JRA通算2584戦176勝。84年中日新聞杯アスコットエイト、90年ラジオたんぱ杯3歳牝馬Sをイソノルーブルで制した。93年に調教師免許を取得、翌年3月に厩舎開業。JRA通算5921戦428勝、うち重賞16勝。05年阪神JF(テイエムプリキュア)でG1初制覇を飾った。

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