9月16日午後4時、大阪にて佐藤哲三騎手の騎手引退会見が行われた。佐藤哲三騎手は12年11月24日、京都10レースで落馬。その際、内ラチに激突し左上腕骨、左肩甲骨など全身に多数の骨折等の損傷を負った。大きな手術を繰り返し受けながら現役復帰を目指していたが、このたび自ら区切りをつけた。
明日17日で44歳の誕生日を迎えるという佐藤哲三騎手。引退については「変な感じですね。自分で描いていたものとは全然違う感じ。『なんやろな、これ』っていう感じです」と実感が湧かないことを強調した。
騎手生活は26年に及ぶ。これについては「早かった。今でも(騎手として)やりたいことはある」と、無念さを含みながらも前を向き、胸を張った。「落馬事故の怪我は騎手として仕事をしていたらあること。後悔していないとは言えないけど、最終的に決断するのは難しかった」
今年1月に15時間の手術を受けた。予定された一通りの大きな手術は終えたが、それでも自分の左腕は動かない。ある日、佐藤哲三騎手は主治医に「正直に言って欲しい」と直訴した。
「『復帰は難しい。でも、動かないものを動くようにするのだから、僕(の治療)についてきて』という返事をもらった」
その後もリハビリに励むが、7月に大山ヒルズに訪れた際、自分の馬に対して湧き出た気持ちを自覚し、引退を悟った。
「たまたま
キズナが
ワンアンドオンリーの隣にいた。ダービー馬になったばかりの
ワンアンドオンリーがもてはやされていて、その様子に
キズナが少しすねていた。それを見て『可愛い』と感じた。自分は騎手2年目で勝負の世界で生きるために優しい気持ちは引っ込めてきた。なのに、“
キズナを可愛いと思う気持ち”が自然と出た。もう、騎手として(メンタルを維持するのは)無理だな、と思った」
「思い出の馬は
宝塚記念(2011年)の
アーネストリー(牡9、
父グラスワンダー)。厩舎サイドとつくりあげた僕の中でのベストレース。ダメだったのは
ラガーレグルスのゲート(2000年
皐月賞)。当時の僕は技術が足りなかった。今思えば、いい馬に巡り合えたと思う。騎手生活での思い出についてはたくさん記者さんと喧嘩したことかな。仕事場で人に優しくすると甘えが出る。だから、頑なになった。そんな僕を理解してくれる人もいて、嬉しかった」
現在、休養中の
キズナについては、熱い思い入れを語った。
「
キズナは僕がたずさわってきた馬の中でズバ抜けて素晴らしい馬。はやく怪我をなおして、復帰して欲しい。」
また、同時期に落馬負傷し、現在休養中の後藤浩輝騎手にはエールを送る。
「直接話していないけど、彼はまだ頑張れる体だと思う。僕からは(騎手に)帰って欲しいと思う。」
最終的な騎手引退は10月12日を予定。今後は競馬ファンとして
JRAに貢献したいと考えているそうだ。
「僕も一緒に馬券を買ってファンの人と一緒に競馬を楽しみたい。地方のウインズや競馬場になかなか行けないような場所に行きたい。僕はジョッキーではなくなるけれど、まだしばらくはジョッキーの匂いは残っていると思うんで。このあいだまで騎手だった佐藤哲三が、隣で一緒に馬券を買っていたら面白いんじゃないかな(笑)。今までも違うかたちになるけれど、競馬を応援し貢献していきたいですね」(取材・写真:花岡貴子)