93年の金鯱賞などを制したウィッシュドリームが、9月8日に亡くなったことが分かった。31歳。
ウィッシュドリームは父リファーズウィッシュ、母プラテイナムプリンセス。
坪憲章厩舎に入厩し、
91年11月、京都のダート1200mの新馬で岸滋彦騎手を背にデビューし、2着。
2戦目、京都ダート1400mの新馬で同騎手を背に初勝利を挙げる。
その後シンザン記念14着、500万下1着ののち、重賞を3戦しひとケタ着順を確保。92年東京優駿に挑戦した。
ミホノブルボンが2冠を達成したこの東京優駿で、ウィッシュドリームは15着だった。
その後はしばらく条件戦を走り、93年4月の難波Sを勝利し再びオープン入り。
オープン入り2戦目で金鯱賞を制覇。2走後には朝日チャレンジカップを制覇。
続く天皇賞・秋ではデビュー3年目の藤田伸二騎手を背に、
ヤマニンゼファーとセキテイリュウオーの大接戦の3馬身後ろの3着に。本格化をアピールした。
同年には有馬記念にも挑戦。10着となった。
年が変わり94年の京都記念で8着に敗れたのちに故障、1年3ヶ月の休養を余儀なくされた。
復帰後は重賞で人気に推されることもあったが、馬券圏内に入れず。平地での最高着順は95年カシオペアステークスの3着だった。
95年のポートアイランドS12着ののち、またもや10か月に及ぶ長期休養を挟んで8歳となったウィッシュドリームは入障。
2戦目で勝ち星を挙げたが、結果的にこれが最後の勝利となった。
97年4月の障害400万下競走で競走中止。このレースを最後に引退した。
通算成績は38戦7勝。
引退後は鳥取県の大山乗馬センターで暮らしていた。
ミホノブルボンと同期の同馬。90年代前半の競馬を盛り上げた1頭でした。
ご冥福をお祈りします。
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