――なぜ覚醒剤に手を出したのか
田原:騎手を引退し調教師になってから歯車が狂っていった。騎手時代は問題が起きても真摯に馬に乗っていれば良かったが、生き方がヘタで白黒はっきりつけないと気が済まない性格の俺は調教師になってからはそれができなかった。理想と現実がかい離していき、その虚無感を埋めるために越えてはいけない線を越えてしまった。
――その後も2回、同じ過ちを犯した
田原:一度越えてしまうと、あとは際限がなくなってしまった。恐ろしいことに、ダメになっていく自分を俯瞰しながら楽しむようになった。気がついたら遮断機が下りて出れなくなった。
――でも、そこからよく立ち直れましたね
田原:立ち直ったのかね(笑い)。まあもう悪さはしていない。育ててくれた谷八郎先生(元JRA調教師)には親不孝しっぱなし。わびてもわびきれない。それに迷惑かけた家内や娘や息子、(柳田)三千男や田原厩舎のスタッフのことを思うといつも心が痛む。だからこそ、今度こそちゃんと生きますよ。
――39歳で騎手を引退した理由は
田原:ケガもいっぱいして自分の理想とするきれいな乗り方ができなくなったから辞めたんだ。美しい乗り方にはこだわっていたから。しがみつけば、あと5、6年はできたと思う。でも俺はそういうのは嫌だった。例えば今の騎手は最新のトレーニングをしてるらしいけど、俺はそんなことしてまで勝つのは面倒くさいし、カッコ良くないって思っていた。
――マヤノトップガンとナリタブライアンの名勝負(96年阪神大賞典)の話を聞きたい
田原:これはみんな伝説とかいって今でも取り上げてくれるけど、僕にとっては消したい過去なんだ。ほんの少し、ひと呼吸だけ仕掛けが早かったんだ。ひと呼吸、ふた呼吸待てばクビ差で勝っていたよ。あのレースは覚醒剤より後悔しているね(笑い)。
――96年スプリンターズS、ゴール前でフラワーパークの頭を押し込んだ“神騎乗”も有名だ
田原:あれは押したんじゃなく、逆に引いているの。ギューッて引いてパッと離したら、反動で戻るでしょ? 直径10センチのテニスボールをギューッと握って離すと10・1センチになる。フラワーパークの最後の1ミリは、引いたことによって出た1ミリ。馬は押しちゃダメなんですよ。今の騎手は押してばっかりだからダメ。押す力の倍、引けばいいんですよ。
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