◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」
立て続けに2頭、歴史的名馬の訃報が届いた。先月27日にシーザリオが「子宮周囲の動脈断裂(による出血性ショック)」で、そして2日にはジャングルポケットが老衰で、それぞれ旅立った。特にシーザリオは、「お産」という行為の険しさをあらためて教えてくれる最期だったと思う。
人にとっても周産期は命懸けのイベントだが、生活するときの体位が人とは90度異なる多くの動物にとって、人とは別のリスクを負っている。人は脊柱が地面に対して垂直。馬は平行な位置関係だ。この違いが、シーザリオの死因になったようなリスクを生じさせると考えられる。
動物の腹腔内臓器は脊柱と膜でつながっており、多くの動脈の枝は、この膜をたどって各臓器へ向かう。脊柱が地面と平行な馬では、臓器は膜で脊柱からつるされている状態だ。
馬の巨大な大腸も、周産期では胎児の成長とともに大きなスペースを占めるようになる子宮も、下から支えてくれる堅い構造物はない。巨大な臓器は、水平方向に回転するような力が加わると、動脈がねじ切れることがある。例えば記者が学生時代、大学牧場にいた繁殖牝馬の1頭は、腸が回転し腸間膜動脈がねじ切れて死んでしまった。
人も、内臓へ走る動脈の走行は基本的には同じ構図だ。しかし、臓器を骨盤が下から支えている。仮に大腸や子宮が、脊柱から伸びる動脈を軸に回転しようとすると、上下逆転を目指すことになる。こうしたイレギュラーな臓器の動きは、重力が抵抗してくれるので、馬の場合よりは起こりづらい。
馬の子宮は子宮広間膜という膜でつるされ、複数の動脈が走っている。牝馬では加齢と経産数に従って、ここで動脈破綻のリスクが上がることが知られている。動脈の弾力性が失われていくなどの原因が推察されているのみで、詳細は不明のところが多い。
シーザリオも貴重な1症例として、今後の繁殖牝馬を助けるためのデータを残してくれるに違いない。これも名馬の最期の遺産になるはずだと信じ、冥福を祈りたい。
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