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それでも馬に乗る 夢は東京パラリンピック

  • 2015年04月04日(土) 18時10分
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競馬で大きなレースを制しながら、2度の落馬事故で左半身にまひが残り、引退を余儀なくされた日本中央競馬会(JRA)の元騎手、常石勝義(つねいし・かつよし)さん(37)が2020年東京パラリンピックの馬術競技に出場することを目指している。左目の視野が狭く、記憶力や集中力が低下する高次脳機能障害にも悩まされながら「もう一度、大きな舞台に立ちたい」と練習に打ち込む。

馬場できびきびとした動作を馬が繰り返す。「今も馬に乗るのは全く怖くない」。兵庫県明石市の乗馬教室で手綱を握る常石さんの表情は柔らかかった。

名馬オグリキャップに憧れ、中学卒業後、騎手を養成する競馬学校に進んだ。同期は2013年に最多勝利に輝いた福永祐一騎手(38)、和田竜二騎手(37)ら粒ぞろいで「花の12期生」と言われた。1996年にデビューし常石さんも5カ月間で12勝を挙げた。

同年8月のレースで落馬して脳挫傷で意識不明の重体になったが、奇跡的な回復で半年後に復帰。03年には障害レースの最高峰、中山グランドジャンプ(JG1)も制した常石さんは「歓声が最高に気持ちよかった」と絶頂期を振り返る。

しかし、04年8月のレースで再び落馬し、頭を強打。1カ月後に意識を取り戻してリハビリに励んだが、今度は左半身のまひと高次脳機能障害が残った。「復帰しか考えていなかったので、ほんまにショックだった」。07年に29歳で引退した。

「馬に会いたい、触りたい」との気持ちは変わらなかった。リハビリを兼ねて滋賀県草津市の自宅から栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市)に歩いて通い詰めた。競馬ライターとして活動を始め、乗馬教室にも通った。昨秋の全国障がい者馬術大会では難易度の高いチームテスト部門で初優勝。指導する明石乗馬協会(明石市)の三木薫さん(59)は「騎手時代の習性で姿勢が前かがみになるが、馬を操る技術は問題ない」と言う。

パラリンピックの馬術は、動作の正確性や美しさで競う馬場馬術のみ。課題は、定められたコースを覚えること。高次脳機能障害で人の名前や約束を忘れがちな常石さんにとっては難題だが、自宅で毎朝、母由美子さん(63)とコースを紙に書き込んで覚えるのが日課だ。「周りの人に支えられて、ここまで来た。次は僕が恩返しをしたい」と常石さん。再び歓声を浴びる日を夢見ている。
ネタ元のURL
http://mainichi.jp/sports/news/20150404k0000e040168000c.html

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