◆たび重なる挫折を乗り越えた名ステイヤー 1990年代の日本の長距離競馬にスピード革命をもたらし、全盛を誇った血統にブラッシンググルーム系がある。この血統は単にスタミナだけでなく、一流のスピードと瞬発力も兼ね備えていた。
そもそもは気の強さと、スピードを伝える短距離血統だったが、世代を重ねるごとにスタミナ、持久力が注入され、いつの間にか3000m級の長距離に強い血脈に発展していたのだった。
サクラローレルの父レインボークエストもその1頭だ。フランス伝統の長距離大レース、凱旋門賞でサガスの失格によって繰り上げ優勝した馬だったが、種牡馬となってはサガスをはるかに上回る成功を収め、欧州長距離界に君臨した。
その代表産駒にクエストフォーフェイム(英ダービー)、ソーマレズ(凱旋門賞)、ネダウィ(英セントレジャー)、ミレナリー(英セントレジャー)らがいる。多くが欧州伝統の長距離大レースを勝った名ステイヤーで、天才的な派手さはないが、地道に実績を積み重ねていく“努力家の家系”だった。
サクラローレルも遅咲きで芝のデビュー戦は9着。3戦目に初勝利、6戦目に2勝目をあげたが、いずれもダート戦だった。後に年度代表馬までに出世するなど、このとき誰も予想していない。
それでも3歳馬の最高峰、日本ダービーのトライアル戦、芝2400mの青葉賞(当時は3着まで出走権を与えられた)で、ぎりぎり3着に入って出走権を得た。初めての重賞挑戦で、芝の長距離も初体験だったが、別馬のような変身ぶりで資質の片鱗を見せた。
ところが、右後脚に球節炎を発症。日本ダービーを断念せざるを得なくなった。不運はその後もサクラローレルについて回る。翌年1月、中山の金杯で重賞初制覇。春の天皇賞をめざして調教が積まれていたが、いざ本番という段になって今度は重い骨折に見舞われる。
何とか安楽死処分は免れたが、復帰に1年も要した。だが、サクラローレルが真骨頂を発揮するのは、ここからなのである。5歳春、復帰初戦の中山記念を鮮やかに勝利。続いて春の天皇賞に駒を進める。ナリタブライアン、マヤノトップガンの年度代表馬2強が圧倒的な支持を集め、両馬のための天皇賞といった雰囲気が漂っていた。
サクラローレルは3番人気だったが、この2強から大きく離れた単勝14.5倍で、低い評価でしかなかった。大方の予想どおり、最後の直線は2強が激突。ナリタブライアンが抜け出たしたときは、これで態勢が決したかと思われた。と、そこに外からサクラローレルが猛追。並ぶ間もなく交わし、2馬身半差の完勝で戴冠のゴールを駆け抜けたのである。
暮れの有馬記念も制し、春の天皇賞制覇がフロックでなかったことを実証したサクラローレルは、この1996年、堂々の年度代表馬に選ばれ、翌年、凱旋門賞をめざして渡仏した。だが、その前哨戦のフォワ賞で、またも重度の骨折を発症。はるか遠い異国フランスの地で、その競走生活を終えた。
たび重なる挫折を乗り越え、そのつど強さを増して年度代表馬の勲章を手にしたサクラローレル。この晩成の名ステイヤーには、「不撓不屈」の4文字がふさわしい。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1996年12月22日
第41回 有馬記念(GI) 中山/芝右 2500m/天候:晴/芝:良
1着 サクラローレル 牡6 56 横山典弘
2着 マーベラスサンデー 牡5 57 武豊
3着 マイネルブリッジ 牡5 57 坂本勝美
◆競走馬のプロフィール
サクラローレル(牡6)
父:Rainbow Quest
母:ローラローラ
騎 手:横山典弘
調教師:境勝太郎(美浦)
馬 主:さくらコマース
生産牧場:谷岡牧場
※年齢は当時の旧年齢表記
■1996年 有馬記念
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