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■第22回「主導権」

  • 2015年07月13日(月) 18時01分
【前回までのあらすじ】
容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で6馬房の厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。伊次郎は厩舎改革にとりかかり、その1番手として牝馬のシェリーラブが出走。軽快に逃げ切り、厩舎初勝利を挙げた。次は牡馬のトクマルで、単機能の「逃げ作戦」をつづける。



 ゲートがあいた次の瞬間、主戦の藤村を背にしたトクマルが、横並びの他馬より体半分前に出た。

「ダッシュよく出たのは3番のトクマル!」

 実況アナウンスが響く。レース中、トクマルの名が呼ばれたのはいつ以来だろう。

 前走までは、後ろに控えて……というか、ついて行けずに位置取りが悪くなり、そのまま後方に沈む競馬を繰り返していた。スタートからゴールまでずっと後ろのままの、いわゆる「馬場掃除」というやつである。

 しかし、きょうのトクマルは違う……はずだった。

 1完歩目はジャンプするように出て、2完歩目も勢いに乗ってスムーズだった。が、3、4完歩目が遅い。

 内と外から、同型の逃げ馬が並びかけてくる。

 どのレースでも、徳田厩舎の「とおせんぼジジイ」として立ちはだかるベテラン騎手・矢島の本命馬が内、若手のホープ・小林が乗る牝馬が外だ。小林が乗っているのは、藤村が騎乗依頼を断った馬である。

 3頭が横並びになった。

 ――さあ、どうする、藤村。

 ここから強引に抜け出すか。それとも、いったん下げて、ペースが落ちたところでハナを奪い返すか。

 藤村が選んだのは、どちらでもなかった。

 無理に行くでも下げるでもなく、内に矢島の馬、外に小林の馬を従え、3頭で雁行して馬群を引っ張る手に出たのである。

 3頭は鼻面を揃えたまま、1コーナーに進入して行く。

 矢島と小林は、名手同士の阿吽の呼吸で、同じレースプランを描いていたと思われる。真ん中のトクマルを両側から同時にかわしたあと、コーナーワークで内の矢島が前に出て、小林が砂を被らない外目の2番手となり、レースをつくるつもりだったのだろう。

 ――藤村のやつ、それをわかっていたようだな。

 要は、藤村も、矢島と小林の域に達している、ということだ。そして、矢島と小林がつくりかけたレースを、あえて壊す乗り方をしている。

 スピードで劣り、逃げた経験のないトクマルにとって、これは楽な展開ではないが、矢島と小林が主導権を握れずにいることもまた確かだった。

 ――やるじゃねえか、藤村。

 自分がレースをつくれないのなら、ほかの誰にもつくらせない――そうするにはこれしかない、という騎乗である。

 特に、外々に張り出されている小林の馬のダメージが大きい。自分が断った馬に先着されたくない――という藤村の意地が感じられる。

 矢島の馬と小林の馬がもし勝てなかったら、それぞれの調教師や馬主は敗因をどう分析するか。

 ――藤村にやられた。

 そう思うに違いない。「敵に回すと嫌なやつだ」という印象を与えることはすなわち、味方にしたい、つまり、自分たちの馬に乗ってもらいたい――と思わせる、ということだ。

 藤村は、騎手として、中身も、評価も、確実に変わりつつある。

 これまで伊次郎は、藤村を「チーム伊次郎の一員」といった目で見ており、実際そのように扱ってきた。しかし、そろそろ考え直さなければならないようだ。

 父もずっと応援してきた騎手なので、多方面から評価されるのは嬉しいのだが、半面、手の届かないところへ行ってしまう寂しさも感じた。

 ――いや、今はそんなことを考えている場合じゃないぞ。

 伊次郎は、見開いた目をコースに向けたまま、両手で顔をピシャッと叩いた。

 向正面に入っても、先頭は、内から矢島の馬、トクマル、小林の馬、と3頭並んだ状態でレースを引っ張っている。

 次位集団とは5、6馬身ほども離れ、そこから後ろは縦長になっている。

 横並びでハナを切る3頭が、ハイペースで飛ばしたまま3コーナーを回って行く。

「引くに引けない展開になった」

 レース後、敗戦の弁としてそう語るのは、矢島か、小林か、藤村か、それとも3人ともか。

 ずっと外を回らされている小林の馬は、手応えが怪しくなりつつある。

 4コーナーを回りながら、小林の馬が置かれ出した。

 4番手以下の馬たちが、一気に差を詰めてきて、直線に入った。

 藤村が乗るトクマルは、まだ矢島の馬に食らいついている。

 もしトクマルが勝てば、徳田厩舎にとって、父子を通じて初めての連勝となる。はたして奇跡は起きるのか――。

(つづく)



【登場人物】

■徳田伊次郎(とくだ いじろう)
地方競馬・南関東の調教師。顔は怖いが、気は優しい。小さいころから上手く笑うことができない。身長175センチ、体重80キロ、胸囲120センチ。近代競馬の黎明期に活躍した「ヘン徳」こと徳田伊三郎・元騎手の末裔。

■若村ゆり子(わかむら ゆりこ)
徳田厩舎の若手厩務員。元ヤンキー。鳴き声から「ムーちゃん」と呼んでいるシェリーラブを担当。

■宇野大悟(うの だいご)
徳田厩舎のぐうたら厩務員。30代前半。

■宇野美香(うの みか)
宇野の妻。徳田厩舎の新スタッフに。

■仙石直人(せんごく なおと)
徳田厩舎ののんびり厩務員。56歳。ニックネームはセンさん。南部弁で話す。

■藤村豊(ふじむら ゆたか)
徳田厩舎の主戦騎手。顔と腕はいいが、チキンハートで病的に几帳面。

■矢島(やじま)
人相の悪いベテラン騎手。リーディング上位の豪腕。

■小林(こばやし)
若手のなかでは飛び抜けた成績を残している騎手。

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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