▲腐りかけていた心を救ってくれた恩師への思い (撮影:桂伸也)
今月いっぱいで引退を迎える角居調教師の活躍をたどる特集。昨日から始まった第一部では、“角居勝彦”その人に焦点を当て、ホースマンとしての半生を振り返り、リアルな人物像とトップトレーナーたる思考に迫っていきます。
「教会を継ぐ前に、社会に出て自分の力を試したい」と飛び込んだ競馬の世界。しかし、競馬の知識はほとんどなく、調教助手のライセンスは取得したものの、成功体験をきっかけに悪い方へと空回り。そんな腐りかけていた心を救った人物こそ、恩師・松田国英調教師でした。
(取材・文=不破由妃子)
※この取材はテレビ電話で実施しました。
【第一部】名トレーナー誕生秘話『角居勝彦物語』(2/11〜2/16)
【第二部】関係者たちが証言“角居勝彦のスゴさ”(2/17〜2/24)
【第三部】引退直前、角居調教師からのラストメッセージ(2/25〜2/26)
諦め半分の調教師試験「どうせ受かりませんよ」
1997年1月。心機一転を図るべく、約10年間在籍した中尾謙太郎厩舎から松田国英厩舎に転籍。前年に開業した松田といえば元トラックマンという異色の経歴の持ち主で、調教助手時代から調教や厩舎システムに新風を吹き込むなど、厩舎運営の流れを変えた人物でもあった。
「松田厩舎での仕事はとてもハードでしたが、馬をよりよくするためにはどうすればいいか、先生にアドバイスをいただきながら一生懸命に取り組みました。僕自身が心を入れ替えたこともあって、あの頃が一番楽しかったですね。しばらくして、先生から『調教師試験を受けてみろ』と言われるようになったんですが、『いや、いいですわ。もう諦めがついてますから』と何回も断っていました」
当時の松田厩舎には、調教助手として友道康夫も在籍していた。競馬の世界に入ったのは角居のほうが3年ほど早いが、友道とは同学年。いまや日本を代表するトップトレーナーとなったこのふたりが、当時の松田厩舎のいわゆる番頭だった。
「友道先生のほうが早くから松田先生の厩舎にいて、すでに調教師試験も受け始めていました。友道先生は獣医師の資格を持っているので、『ああ、試験も普通に通るんだろうな』と完全に他人事として見ていましたが、松田先生からは『友道も受けているんだから、お前も受けろ』と言われ続けて。
最初はそれこそ『はいはい、受ければいいんでしょ。どうせ受かりませんよ』みたいな感じでしたけどね(笑)。とにかく、松田先生が推してくれなければ、調教師試験は受けていなかった。それは本当にそう思います」
半ば嫌々(?)調教師試験を受け始めた角居だったが、寝る間も惜しんでの猛勉強の末、3回目の受験で見事に難関を突破。「なんで受かったんでしょうね(笑)」と、うそぶいてみせた角居だが、かつて仲間たちが放った「まぁ無理だろうな。頑張ってなれるものではない」という言葉、そして獣医師という武器を持つ友道の存在が、燃料となったように思えてならない。