▲名手・四位洋文を生んだ、霧島高原乗馬クラブ (C)netkeiba.com
鹿児島空港から車を走らせること約30分。霧島連峰を望む国道沿いに、その乗馬クラブはあります。『霧島高原乗馬クラブ』。ここは、わずか8歳の四位洋文少年が、馬乗りとしてのキャリアをスタートさせた地です。
当時から元競走馬をリトレーニングし、乗馬としてのセカンドキャリアを切り開いてきた当クラブですが、それは40年以上の時を経た今も変わらず、多くの元競走馬たちが活躍中。中山大障害を制したレッドキングダムとニホンピロバロンも、ここでセカンドキャリアを送っています。
そこで今回は、今週末に行われる中山大障害にちなみ、この2頭の今を現地レポート。教えてくれたのは、四位洋文調教師の幼馴染であり、乗馬クラブを運営しながら現在もトップライダーとして活躍する村岡一孝さん。リトレーニングを施すなかで、やはりチャンピオンホースならではの難しさがあるそうで…。乗馬として試行錯誤を続ける2頭の日常に迫ります。
(取材・構成=不破由妃子)
レッドキングダムは「引き受けたなかで一番手強い」
──四位洋文調教師が8歳から通っていたという『霧島高原乗馬クラブ』。現在は、村岡さんが中心となって運営が行われているそうですが(オーナーは四位調教師の師匠である長命信一郎氏)、四位さんとは幼馴染だそうですね。
村岡 四位さんも僕も、この乗馬クラブのすぐ近くに住んでいたので、子供の頃は遊びがてら通っていました。僕が小学2年生から通い始めたとき、四位さんは6年生。それからというもの、ほぼ毎日一緒にいましたね。当時は、ちょっとしたお手伝いをすると、その代わりに馬に乗せてくれたんですよ。僕の乗馬キャリアは、そこから始まりました。
▲四位調教師の幼馴染、村岡一孝さん (C)netkeiba.com
──当時から、四位さんと一緒に競技会などにも出場していたんですか?
村岡 はい。いつもやられてばっかりでしたけど(苦笑)。四位さんのほうがキャリアも上で、競技経験も豊富でしたので、技術の差は歴然としていました。昔も今も、四位さんには頭が上がらないです(笑)。
──今はその幼馴染の四位さんと連携して、競走馬のセカンドキャリアを支えていらっしゃる。四位さんのジョッキーとしてのキャリアを含め、すべてはこの場所から始まったことを思うと、なんだか胸に迫るものがあります。
村岡 四位さんは、今でも年に一度は必ずこっちに帰ってきていますが、とにかく馬とよく会話をしていますよ。そういう時間を通して、仕草や表情を観察しつつ、コミュニケーションを取ることができる。すごい方だなと思います。
▲四位調教師の騎手時代の華々しい写真がたくさん! (C)netkeiba.com
▲▼その中には…少年時代の四位調教師の貴重な姿も! (C)netkeiba.com
──現在、こちらの乗馬クラブには、何頭が在籍しているんですか?
村岡 今は25頭です。そのうち半数以上が元競走馬で、あとは乗馬用として繁殖された外国産馬ですね。
──元競走馬と生まれながらの乗馬は、やはり別物ですか?
村岡 育てられた環境がまったく違うので、普段の様子も全然違います。たとえば、馬房のなかで寝転んでいるときに、人間が馬房に入ったとします。乗馬用の外国産馬は、近くに人間が座ったとしても寝転んだままですが、元競走馬や国産の馬は、僕らが馬房に入った時点でパッとすぐに起き上がるんです。警戒心の度合いが全然違いますね。
──警戒心の強い馬を乗馬用にリトレーニングする。競技用にしろ、観光用にしろ、プロにしかできないお仕事ですね。
村岡 もちろん簡単ではありませんが、今は育成などがしっかりしてきた影響で、昔に比べるとおとなしい馬ばかりです。四位さんや僕が子供時代に乗っていた元競走馬は、一筋縄ではいかない馬ばかりでしたからね。そういう時代を経験しているので、今はむしろ扱いやす過ぎて、逆にこっちが「こんなんでいいのかな?」と思うくらい、しっかり躾がされています。ただ…、レッドキングダムは、なかなか手強かった(苦笑)。
──デビューしてしばらくは四位さんが乗っていた馬ですね。その後、障害に転向して、2014年の中山大障害を制して。
村岡 そうですね。普段はおとなしいんですけど、なぜかスイッチが入る時間帯があるんですよ。ひとたびスイッチが入ったら、一般の方ではとてもじゃないけど手を付けられない。ディープインパクトの血が騒ぎまくっている感じですね(笑)。
▲2014年の中山大障害を制したレッドキングダム (撮影:下野雄規)
──想像がつくような(苦笑)。スイッチが入るきっかけは決まっているんですか?
村岡 いえ、トレーニング中に、僕ら人間は感じない何かの音を感じているんだと思うんですよね。急に遠くを見始めて、何をやっても指示を聞かなくなる。時間にしたら10分くらいなんですけど、そういう時間があるんです。
──四位さんも、「性格がきつかった」とおっしゃっていました。でも、障害でずっとコンビを組んでいた西谷騎手が、乗馬センスを見抜いて。
村岡 レッドキングダムは、ここにきたときからすごかったです。今まで引き受けたなかで、一番手強かったんじゃないかな。それこそ、人間を引きずって行くくらい(笑)。ただ、確かに障害馬術のセンスはあると思います。
▲「今まで引き受けたなかで、一番手強かった」と村岡さん (C)netkeiba.com
▲やんちゃな表情を見せるレッドキングダム (C)netkeiba.com
──ということは、競技で活躍しているんですか?
村岡 いえ、ちょっと脚元がモヤッとするので、なかなか無理はさせられない状態です。あまり負荷を掛けないように、僕らがトレーニングをしている感じです。先ほどもお話ししたようにスイッチが入ってしまう時間帯があるので、会員さんを乗せるわけにはいかない。触ってもらうのが精一杯です(笑)。
──歯がゆいですね。センスはあるのに。
村岡 能力もセンスもあるんですけどね。ただ、競技中も急にスイッチが入ってしまうときがあるんですよ。真っ直ぐ走らなきゃいけないのに、真横に走って行っちゃったりとか(笑)。でも、いいものを持っているので、脚元と相談しつつ、長い目で見ていきたいと思っています。
ニホンピロバロンは「さすがチャンピオンホース!」
──レッドキングダムのあとに入ってきたのが、2018年の中山大障害を勝ったニホンピロバロン。バロンは乗馬としてどうですか?
村岡 レッドキングダムに比べると、ここにきた当初から割と上に弾む馬だったんですよ。これはもしかしたら、すごくジャンプ能力があるんじゃないかなと感じました。
ただ、速歩(はやあし)、キャンターとやっていくと、グーっと持っていく力がどんどんどんどん腕に掛かってくるんですよ。すっごい手応えだなと思って、ゆっくりになるように宥めながら乗っていると、今度は頭に血が上り出すんです。暴れるわけではないんですけど、「どこまででも連れ去って行くよ」っていうくらいの手応えで、こちらとしては、ちょっと待てと(笑)。
──さすがチャンピオンホースというべきか(苦笑)。
村岡 あれぐらいのパワーがあるから、J・GIを勝つんだろうなと思いましたね。そこからいろいろ試行錯誤しながらの今です。その名残は今もありますけどね。推進力というか持っていく力というのは、レッドキングダムとはまた違った力強さがありますね。ただ、長期の休養を経てうちにきて、すぐに去勢されたこともあって、気性的な問題はほとんどなかったです。
▲2018年の中山大障害を制したニホンピロバロン (撮影:下野雄規)
──今はどこを目指してトレーニングをしているんですか?
村岡 今は、中級〜上級レベルの会員の方が乗って、週に1、2回、馬の健康運動程度にトレーニングをしています。この馬も脚元が万全ではないので、今は無理をさせずに。競技に行くことも考えたんですけど、なんせ推進力が強いものですから、障害物をハードルのように越えてしまうんですよね。
──馬術競技と障害戦では、求められる飛越が違いますものね。
村岡 そうですね。馬術競技では山なりに飛んでもらうのがいいんですけど、やはり直線的に飛んでしまう。だから競馬では速かったんでしょうけど、乗馬では横木にも脚をぶつけやすいので、これは無理して障害にこだわらないほうがいいなと判断しました。もちろん、脚元の状態やトレーニング次第で、方向性が変わってくる可能性は十分ありますけどね。
▲障害レースから馬術競技へ…新たな世界での活躍を目指して (C)netkeiba.com
(次回へつづく)