▲馬房で甘える“高知の星”スペルマロン(提供:別府真司調教師)
不定期連載「クセ馬図鑑─愛すべき強者たち─」。個性的で、どこか憎めない可愛さを持ったクセ馬を紹介する当コラムに、地方馬が初登場です。
その馬の名は、スペルマロン(セン9、高知・別府真司厩舎)。廃止の危機から奇跡のV字回復を果たした高知競馬で、福永洋一記念など重賞12勝を挙げるスターホースです。
しかし、その素顔はまさにクセ馬。調教には2倍の時間を要し、馬房では噛みつこうとするやんちゃな一方、主戦・倉兼育康騎手の引退時には勝利を収める頑張り屋さんです。そして、ラストコンビで勝った翌朝、倉兼元騎手が馬房を訪れると、いつもは近寄らせないのがペロペロ舐めながら甘えてきたとか。
高知の“愛すべき強者”の素顔について、調教からレースまで一貫して乗ってきた倉兼騎手に伺いました。
(取材・構成=大恵陽子)
馬がいると止まっちゃう──なだめながら待ち続けた日々
──スペルマロンはJRAで3勝を挙げたのち、2019年秋に高知競馬に移籍してきました。当時の印象から教えてください。
倉兼 小さい角馬場で初めて乗った時、すごくいい馬だなと感じて「大人しいし走りそうですよ」と川嶋雄一厩務員に言ったら、「いや、これかなりの癖があるらしいぞ」って。そこからが大変でした。
馬場に行くと、外に飛んでいったり、後ろから馬が来たら止まったりしました。走っていても、ダク(速歩)を踏んでいる馬の後ろまで来るとビタッと止まって動かなくなりました。走るのが嫌な馬で、すぐに止めようとしていましたね。
──走っていて急に止まられると、乗っている倉兼騎手も周囲もビックリしそうです。そういう時はどう対処を?
倉兼 とにかく、なだめました。ムチで叩いて動かすのではなく「分かった、分かった」と言いながら、スペルマロンが行きたくなるまで我慢しました。最初の頃は2頭分の時間を費やしていました。
──とにかく根気強く待ったんですね。周囲の理解もあったことと思います。
倉兼 高知競馬場の調教コースは2つあって、レースが行われる外馬場とその一つ内側の内馬場なのですが、僕が外馬場でスペルマロンに乗っていると、いつもは外馬場で乗っている馬でも内馬場に入ってくれました。他の馬がいたら動かないし抜こうとしないので、みんな気を使ってくれたんです。移籍してきて半年弱はそんな感じだったかな。
──前にいる馬を抜かそうとしないのに、移籍から2カ月で高知版有馬記念とも言うべき高知県知事賞を勝つなど、レースでの走りはすごかったです。
倉兼 調教ではなるべく「走らなくていいよ」という感じで、ハミをかけて馬がグーっと取るのを待っていました。馬の気分でキャンターに行ってあげないと、すぐに止まって動かなくなるんです。押していくと嫌がりましたし、ムチで叩くと耳を絞って反抗して動かないので、レースでもほとんどムチは使わず、脚(ふくらはぎでの圧迫など)で乗っていました。
▲スペルマロンと担当の川嶋雄一厩務員(提供:別府真司調教師)
──20年には1番人気に支持された準重賞・ミッキーロケット賞のスタートで落馬もありました。倉兼騎手にとっては一つの転機になったとか?
倉兼 自分にまだ自信がなかったので、「前に付けた方がいいのでは」と思っていましたけど、ゲートが開いた瞬間にグッと仕掛けたら馬がビックリしたというか躓いて落馬してしまったんです。あれ以来、スタートを出して前で競馬をしようという考え方はなくなりました。「この馬は自分のペースで走らせるのが一番だ」と思ったんです。
──それを境に連勝街道を歩みます。途中、連勝が途切れたのは大高坂賞と黒船賞(JpnIII)。ともに1400mでした。
倉兼 距離は長ければ長いほど得意で、大晦日の高知県知事賞(2400m)に毎年使っていましたけど、高知の古馬重賞を全制覇したくて、間隔は詰まるけれど1月中旬の大高坂賞を使っていました。1400mの重賞は年明けに重なっていて、リズムが上手く合わずなかなか勝てなかったですね。
──まさにスペルマロンが勝っていない重賞は1月〜3月に行われる3レースのみ。21年夏には建依別賞を勝ち、高知の重賞全距離(1300m〜2400m)を制覇しました。
倉兼 全距離制覇もですし、良馬場でも不良馬場でも勝って、高知ですごく走る馬です。
──高知と言えば砂がすごく深くてタフ。それゆえ、ダート馬中のダート馬が活躍するのかな、と想像するのですが、スペルマロンは?
倉兼 体を大きく使う馬で、乗っている感じはダート向きじゃないような走りをします。芝でもいけるんじゃないかっていう綺麗なトビをしますけど、馬場が合えば高知でも走るだろうな、と思っていました。
スペルマロンと出会って、調教師受験を遅らせた
──馬房での普段の姿はどうでしたか?
倉兼 レース当日は時間が近づくにつれて暴れて、かなり大変だったみたいです。装蹄するのも苦労したり、冬になるとツメが敏感で鉄橋蹄鉄(蹄鉄に横一本のプレートがかけられた蹄鉄)を履いていました。川嶋厩務員じゃなかったら、こんなに走っていなかっただろうな、というくらい、馬のことを考えて本当に色んなことをされていました。
僕なんかが近づくと、耳を絞ってガーッと噛みにきていました。連勝している頃は近寄れなくて触ったことがなかったです。でもね、こないだ馬房に行ったら、ペロペロ舐めてきたんです。
──え! 急にキャラ変。何があったんですか?