■前回まで
新冠の武田牧場で生まれたハイセイコーは、3歳時に大井で6戦6勝、それもすべて圧勝という驚異的な成績をおさめた。4歳になった1973年、ホースマンクラブにトレードされ、中央の鈴木勝太郎厩舎に移籍した。(馬齢は旧馬齢)
ハイセイコーは大井にいたときから注目を浴び、多くのマスコミ関係者がその一挙手一投足を見逃さぬよう集まっていた──東京競馬場に厩舎を構える鈴木勝太郎の長男で、調教助手の鈴木康弘はそう聞いていた。ゆえに、ある程度覚悟はしていたのだが、予想を遥かに上回るマスコミ関係者の数に驚いていた。
「康弘、わかっただろう、ハイセイコーというのはこういう馬なんだ」
父の勝太郎が切り出し、つづけた。
「これからもっと人気が出る。だが、我々がああだこうだ言っても、ファンには伝わらない」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「ルールを決めて、ハイセイコーのいろいろなことをできるだけメディアに知らせてやれ。やり方はお前に任せる。新聞や雑誌、テレビなどに出ることで、この馬の本当の姿が伝わるようにするんだ」
勝太郎は厳格なことで知られており、普段からマスコミを寄せつけなかった。その父にこう言わしめる特別なものを、ハイセイコーは持っていたのだ。
康弘は、集まったマスコミ関係者の前でこう言った。
「ハイセイコーのことはすべて僕がお伝えします。ただ、