都内の仕事場から見えるソメイヨシノに、ちらほらと緑の葉がまじりはじめた。ここはマンションの9階なのだが、満開を過ぎて散りはじめると、結構な数の花びらが風に運ばれてくる。
今、阪神競馬場の向正面のソメイヨシノはどんな咲き具合なのだろうか。
先々週の本稿を書いたときには、桜花賞当日には散ってしまっているのではないかと思っていた。が、先週の競馬が行われた時点でまだ五分咲きだったようなので、昨年同様、満開の桜のもとでの桜花賞が見られるのかもしれない。
五大クラシックで唯一、親仔による制覇がないのが桜花賞だ。牝馬クラシックは「母娘制覇」でなければならないので難しくなるのは当然だが、オークスは、1943年クリフジと1954年ヤマイチ、1983年ダイナカールと1996年エアグルーヴという2組が親仔(母娘)制覇を達成している。
桜花賞馬の娘が桜花賞に出走すること自体が難しく、1984年のグレード制導入移行の桜花賞馬の娘が出走したのは、1993年3着のマックスジョリー(母マックスビューティ)、2010年17着のラナンキュラス(母ファレノプシス)、2011年7着のダンスファンタジア(母ダンスインザムード)、2021年4着のアカイトリノムスメ(母アパパネ)の4例しかない。
母娘ではないが、前出のマックスジョリーの娘ビューティソング(未出走)の娘のココロノアイが、2015年の桜花賞に出走して10着になっている。マックスジョリーは母マックスビューティが産んだ唯一の牝馬だった。マックスジョリーもまた、1頭しか牝馬を産まなかった。繁殖牝馬となった年は流産し、翌年、娘のビューティソングを出産した際に子宮大動脈破裂を生じ、世を去ったのだ。
そのビューティソングの娘のココロノアイが、曾祖母マックスビューティも勝ったチューリップ賞(1993年まではオープン特別)を勝って桜花賞に臨み、引退後は繁殖牝馬となって、生産者の酒井牧場にとって大切な牝系をつないでいる。また、ココロノアイの初仔ルージュアドラブルも坂東牧場で繁殖牝馬になっているようだ。
史上初の牝馬のダービー馬ヒサトモも1頭しか牝馬を残さなかったが、内村正則オーナーが購入した曾孫のトウカイクインから3代先に、トウカイテイオーという名馬が誕生した。
細くなって消えかけた血が、ホースマンの意地と執念と夢によってつながれて結実し、競馬史に残る傑物となったのだ。
ヒサトモが日本ダービーを勝ったのは1937年。54年後の1991年、トウカイテイオーが無敗の二冠馬となった。
マックスビューティが牝馬二冠を勝ったのは1987年。今から38年前のことだ。ちょうど私が競馬を始めた年なので、「もう38年か」というのが最初の感想だが、ヒサトモからテイオーまでの時の流れを考えると、「まだ38年」とも言える。今も活力あるマックスビューティの牝系から、テイオー級の大物が登場するか。生産者の努力と苦労は並大抵ではないと思うが、気長に、楽しみに待ちたいと思う。
マックスビューティは、「桜花賞で圧倒的な強さを見せた馬」として、私が真っ先に思い浮かべる馬だ。2着のコーセイに軽く8馬身差をつけた。コーセイもまた、重賞を4勝(うちひとつは牡馬相手の中山記念)した強い牝馬だった。
その1987年の桜花賞で掲示板に載った5頭の生産者は、1着から順に、酒井牧場、中本隆太郎、林喜久治、小倉牧場、杵臼牧場となっている。昨年の桜花賞は、ノーザンファーム、ノーザンファーム、レイクヴィラファーム、聖心台牧場、Godolphinだった。一昨年は1着のリバティアイランドから5着ドゥアイズまでノーザンファーム。2021年は1着のソダシから7着のストゥーティまですべてノーザンファームの生産馬だった。なお、この7頭というのが、生産者による同一GI競走上位独占記録である。
もちろん、ノーザンファームが簡単に勝っていると言うつもりはない。が、桜花賞は出ることさえ難しいと書きながら、最近の桜花賞の結果を俯瞰して、ノーザンファームの独占ぶりに愕然とした。
昔から「弱きを助け強きを挫く」というのが侠気とされているが、私は、井上尚弥選手やロサンゼルスドジャースのように、強い人やチームに惹かれてしまう。理由があって強くなったのだから、「強き」は挫くべきものではなく、憧れ、学び、目指すべきものではないか。そう思ってしまうのは、私が弱いからかもしれないが、はたして、どれだけの人が自分は強いと思っているのだろう。
最後はわけのわからない話になってしまった。