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スーニ、アドマイヤフジ、トゥリオンファーレ──「ジョッキー・川田将雅」を育てた競走馬たち(前編)【In the brain】

  • 2022年01月13日(木) 18時02分
VOICE

▲川田騎手にとっての“特別な存在”とは(撮影:桂伸也)


読者の皆様、本年も「VOICE」をどうぞよろしくお願いいたします。2022年最初の更新は、テーマを設けて川田騎手の脳内を紐解いていく「In the brain」です。年初ということで原点に立ち返り、“ジョッキー・川田将雅”の血肉となった競走馬たちとのエピソードを、前編後編にわけてお届けします。

(取材・構成=不破由妃子)

「あの馬がいたから今の自分がある」と思える特別な存在



 2004年3月7日にデビューして以降、5453頭の競走馬とともにレースを戦い(1月10日終了時点・JRAのみ)、ジョッキーとして今日まで約18年、たくさんの経験を積んできました。

 経験を積むことで、技術や思考の引き出しが増え、意識もより研ぎ澄まされていく。それを結果につなげることができれば、今度は立場や境遇に変化が生まれるわけですが、そのきっかけを作ってくれるのは、言うまでもなく一緒に頑張ってくれる競走馬たちです。

 2022年、最初の更新となる『VOICE』では、年初のタイミングで原点に立ち返り、“ジョッキー・川田将雅”の血肉となった競走馬たちについて、お話ししていこうと思います。今年もよろしくお願いいたします。

 すべての馬に学びがあるのは当然として、なかでもやはり「あの馬がいたから今の自分がある」と思える特別な存在もいます。

 23歳のときに出会い、約3年半もの長きにわたり、競走生活をともに歩んだスーニもその1頭です。スーニにとって9戦目となる2009年のレパードS(トランセンドの2着)が初騎乗でしたが、そこから2013年に船橋競馬に移籍するまでのあいだ、34戦中33戦でコンビを組ませてもらいました。今の時代であれば、1頭の馬とここまで濃密な時間を過ごせるなんて、なかなか叶わないことです。

 2009年といえば、僕はデビュー6年目。前年に皐月賞を勝たせていただいたものの、まだまだ技術も経験も乏しい時代です。そんな僕を、スーニは全国の競馬場に連れて行ってくれた。しかも、一度低迷しながらまた復活していく過程を、その背中で実体験として学ばせてくれた。その結果、JBCスプリントを二度も勝たせてくれました(2009年と2011年)。

VOICE

▲2009年JBCスプリント優勝時(撮影:高橋正和)


 1頭の競走馬が、それだけ変わっていく過程を体験させていただいたのは、スーニが初めてでした。しかもその間、ずーっと一線級にいた馬ですからね。当時の僕に、あのクラスの馬をずっと任せてくださったことには感謝しかありません。今、思い返しても本当に貴重な時間であり、ジョッキーとして文字通りの財産であると思っています。

 スーニとの出会いより少し前、2007年の鳴尾記念で出会ったのがアドマイヤフジです。スーニと同じく、フジも若い僕にたくさんの経験を積ませてくれた1頭です。

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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