手を出してはいけない「雪で中止→翌週に続行」の日程合わせのようなレースにまで参加して、手痛い目にあってしまった。「東海S」か「京成杯」あたりを軽く回顧してお茶を濁したい気分だが、でも、それは許されないだろう。アメリカJCCを振り返って、できることならファンや関係者の建設的な意見を引き出す小さな叩き台になりたい。
アメリカJCCの最後の直線で、降着か、いや、それには相当しないのか、多くの人びとの見解が分かれる「進路妨害」が生じた。新しい降着制度を告知し、ファンや関係者の理解を深めようと各所で流している「映像」そのもののような進路妨害である。
あれから2日ほどたって痛切に思うのは、こういうケースは、日をおかずJRAの審判部、裁決委員、開催委員などによる、ファンや関係者に理解してもらうための「説明、広報」が必要である。「制裁事項、その他」として発表されるものや、「裁決レポート」としてJRAのホームページに載るものではあまりに不親切である。
また、裁決レポートにある「…ダノンバラードより先に入線したとは認めなかったため…」の説明文など、認めるとか、認めないとか、単語そのものは不自然ではないが、文面の根底がきわめて高圧的であり、JRAの公式見解としては、時代錯誤のあまりにせつない告知である。内部文書ではない。ファンの見るページである。理解していただきたいという気配りと、真摯な姿勢が決定的に欠けている。
アメリカJCCのゴール前約160m地点で起こった出来事に対し、裁決委員の判断すべきは、次のような点だったと思われる。
[1] いま生じたこの進路妨害は、新降着制度に照らし合わせたとき、着順変更につながるな重大なものなのか。着差も、妨害の起こった地点からゴールまでの距離も微妙である。
[2] この進路妨害は、新降着ルールでは、審議ランプをつけて再検証するには及ばない程度のものであり、あとでパトロールフィルムを流せば理解を得られる程度のものではないのか。だいたい、新ルールでは降着はほとんどないことになっている。
[3] いや、この進路妨害には、さまざまな見解が生じること必至であり、妨害がなければトランスワープがダノンバラードに先着できたかどうかは、最終的に判断不可能かもしれない。結果、ルールによって入線どおりの順位で確定とするしかないだろうが、それにはちょっと検証の時間を必要とするのではないか。
[4] ダノンバラードの重大な進路妨害によって、トランスワープの進路がなくなっただけではなく、その内にいたゲシュタルトは9位にまで後退する不利を受けている。ひょっとして、これは失格に相当する危険騎乗ではないのか。
[5] これは告知している「映像」と非常に良く似た進路妨害である。しかし、その妨害が起こった地点はゴール前およそ160m前後の地点であり、最終的な着差は「1馬身4分の1」。挽回して追いつくにはゴール直前すぎるのではないか、おそらくきわめて難しい判断が求められる。多くのファンや、また、多くの関係者の理解を得るためにも、新しい降着制度を現実に目の前で起こった進路妨害を例にとって説明するに絶好のチャンスではないのか。
各馬が入線すると同時に、競馬場でも、テレビの前でも多くのファンは大きな進路妨害が起こったのは明らかであるから、ことの推移を見守った。1分、2分、3分…。でも、審議ランプはつかない。審議ランプがつかないとういうことは、新降着制度によると、入線どおりの順位の確定が待っている。それから間もなく、もっと後だったかもしれない(ここは自信がない)、直線の出来事を「あとでパトロールフィルムを流します」という意味のアナウンスがあった。つまり、入線どおりに確定の方向であると伝えたのである。
7分経過。10分経過。でも、確定のランプはつかない。いったいなにをしているのだろう。ゴールして約12分後、突然、「審議」のランプがついた。意味不明であった。
レース直後に、トランスワープの萩原清調教師と、騎乗していた大野拓弥騎手から、「異議申し立て」の意思が伝えられていたという。しかし、意義を申し立てるには、書類の提出と、現金が必要なのだという(オリンピックの体操競技を見ていたファンは、現金(抗議手数料)を手に振りかざしながら審判席に詰め寄る陣営がいたのを記憶しているらしい。見苦しいルールである)。
正式な書類の提出と、最近は現金を持ち歩かない人が多いからだろう、キャッシュをそろえるのに時間がかかったためか、12分後の審議ランプ点滅となった。およそ現代のJRAの規則として信じたくないファンも多いだろうが、これは事実だろう。実際、時間は12分も経過している。
萩原調教師と、大野拓弥騎手の「異議申し立て」の中身は、明確である。その判定に異議ありである。きわめて当然と思える。だれがどの角度から見ても、相反する見解が生じること必至の進路妨害である。まして、ゴール前、約160m。挽回するには不可能ではあるが、大野騎手のトランスワープはダノンバラードに追いすがっていた。なぜこれが、審議にならないのだ、と。
審議ランプがついてから、再び、約10分が経過。異議の内容によっては、重大な事実が見逃されたりすることもありえるから、制度上は「着順変更」もありえるだろう。
でも、最初から審議ランプもついていないうえ、レース直後に、たちまち前出の「2」の見解を取っていた裁決の判断が変わるわけもない。異議申し立ての書類を受理してから、なぜ、10分も時間がかかったのか不思議である。昨年までの不手際とまったく同じである。参加しているファンなど、天下のJRAとは全然関係ないのである。
JRAの裁決3人の委員は、ゴールイン直後、意見が分かれたかもしれない。近くには決勝審判員もいれば、開催委員長以下、重要な人物がいっぱいいる。ひょっとすると、「おいおい、これは審議ランプをつけなくてはまずいだろう」と、3人の裁決委員にJRAのしかるべき役職についている人物や、あるいは仲間から、意見が飛んだかもしれない。
でも、瞬時に、いや審議ランプをつけるには、再生映像や、パトロールフィルムを確認するのに「3分」ぐらいの猶予はあると思えるが、裁決委員は「審議不要」と決めた。
JRAは「これは降着相当にするかどうかを審議しなければならない進路妨害ではない」。「審議の必要を、(JRAふうにいうと)認めない」。として、審議ランプをつけなかったのである。個人の見解でも、3人の裁決委員だけの判断でもないだろう。JRAの見解である。
わたしは、こういう仕事をしているから、JRAに知人もいる。尊敬に値する人びとが山のようにいることも知っている。
でも、新降着ルールの出だし、最低どころか、論外の気がする。新降着制度は、審議ランプのスイッチを切り、事が通りすぎていくのを見ている制度ではない。今回の出来事に紙面を割いたマスコミは少なかった。みんなもう、個々人に対してはともかく、JRAという組織に失望してしまっているからである。公営競馬を笑っていたJRAは、ただ組織が大きいだけで、実際には同じであることに気がついている。でも「俺の世代は関係ない」という職員が多すぎる。