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イブキダイハーンらが辿り着いた終の棲家  大井氏の意思を継ぐ浦野牧場(2)

  • 2017年11月14日(火) 18時00分

オーシァンファームと同じ町内にある浦野牧場


第二のストーリー

▲浦野牧場の風景(中、ホクトヴィーナス、右メリー、左ポニー)、提供:NPO法人引退馬協会


 2009年、浦野正義さんが始めた浦野牧場は北海道白老町社台にある。日本初の馬の養老牧場とも言われるイーハトーヴ・オーシァンファームとは同じ町内になる。

 オーシァンファームはかつて、競走馬の生産牧場であった。1958年に故・大井昭子氏によって創設された。数多くの優駿を輩出したヤシマ牧場の場長時代には、ボストニアン、ハクリョウ、ハクチカラなどの名馬を生産しており、「浦河の女傑」とも呼ばれていたという。1970年代に入って、軽種馬が供給過剰の状態となり、オーシァンファームの生産馬も処分を検討しなければならない状況となった。それもあって大井氏は「馬の余生というものがあっても良いのではないか」という考えに至ったようだ。そして競走馬の生産を中止し、引退した競走馬や乗馬のための養老牧場へとオーシァンファームは姿を変えた。1984年のことだった。

 1988年に登別市に移転するのを機に「ブレーメンの丘オーシァンファーム」と牧場名を改めたが、1991年には白老町へとさらに移転。作家・宮沢賢治の造語で理想郷の意味を持つイーハトーヴを付けて、「イーハトーヴ・オーシァンファーム」という名称となった。

 オーシァンファームが取り上げられた新聞記事を目にしたメジロの冠名で知られるメジログループの北野ミヤ氏が、メジロサンマン(目黒記念・種牡馬)、メジロボサツ(朝日杯3歳Sほか)などの著名馬を預託していた。

 その他、名前の知られているところでは、ディアマンテ(エリザベス女王杯)、バンパサー(クイーンS)、ノースガスト(菊花賞)、タケノベルベット(エリザベス女王杯)などの重賞勝ち馬や、日本最多出走記録保持馬として有名となったウズシオタロー、メジロラモーヌ、メジロアルダンの母メジロヒリュウ、フランスの重賞オペラ賞を制し、のちにメジロティターンの母となったシェリルなどが繋養されていた

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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