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週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

  • 2002年03月20日(水) 00時00分
 2002年3月12日、英国競馬界における現代の伝説に、終止符が打たれた。

 史上初のチェルトナム・チャンピオンハードル4連覇に挑んだイズタブラクが、第2障害を飛越した直後に故障を発生して競走を中止。現役を退くことが濃厚となったのである。
 ここ数年、競馬発祥の地・英国において、競馬ファンだけでなく広く一般大衆の間で、最も知名度が高かった馬と言えば、断トツでイズタブラクであった。平地で目が出なかったこの馬に飛越のセンスを見いだし、障害馬として生きる道を開いたジョン・ダーカン師が、白血病を発症。「この馬は必ず、チャンピオンハードルをとるような馬になる」との遺言を残して急死し、あとを託されたエイダン・オブラエン師が、亡き親友の夢を果たした物語は、英国の競馬ファンなら誰でも知っている逸話である。

 それどころかイズタブラクは、ハードル界の最高峰チャンピオン・ハードルを98年から2000年まで3連覇。史上初の4連覇は確実と言われた昨年、口蹄疫の影響でチェルトナム開催が中止となり、大記録が幻に終わったときには、全英中の競馬ファンが悔し涙にくれたものだ。

 あれから1年待ち、2年振りにようやく巡ってきた『4連覇』のチャンスが、今年のチャンピオン・ハードルだったのである。

 しかし、イズタブラクは今年10歳。10歳を越えた馬のチャンピオンハードル優勝は、1981年のシーピジョン以来20年間絶えてなく、実際に今年の出走メンバー15頭中、イズタブタクは上から2番目の老齢馬であった。若い頃は頑丈でタフだった彼も、年を経るとともにあちこち傷みだし、実は数多くの小さな故障を治療しながらの出走であった。

 第1障害を越えたところで、鞍上のチャーリー・スワンが歩様に異常を発見。第2障害を越えたところで馬を止めたが、スタンド前を歩いて帰ってきたイズタブラクは、トモを引きずっていたという。レース後の詳しい検査の結果、飛節の腱を損傷していることが判明。正式な発表はまだないものの、引退が濃厚となったものだ。

 イズタブラクがただ1頭で引き上げてきた時、チャンピオンハードルはまだレースの真っ最中だった。それにも関わらず、スタンドからはまるでレースのゴール前のような大きな拍手が起こり、傷つき戻ってきた英雄をファンが総立ちで出迎えたという、その一事をもってして、彼が英国の競馬界においてどんな存在だったかが窺い知れよう。

 まさに、現代の神話が幕を閉じた瞬間だった。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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