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週刊サラブレッドレーシングポスト

  • 2002年09月18日(水) 00時00分
 経済界で世界同時株安が懸念されているのと同様に、ブラッドストック・マーケットもこの夏から世界的縮小傾向に突入しているが、9日からアメリカのケンタッキーで行われている『キーンランド・セプテンバーセール』も、下落傾向に歯止めをかけることができないまま進行している。

 22日まで、間に1日の休みを挟んで12日間のロングラン・セールはまだ進行中だが、初日・2日目のセレクト・セッションの数字を見ると、総売り上げが前年比26%ダウンの1億57万ドル。平均価格が前年比31%ダウンの26万6千ドルで、中間価格が前年比19%ダウンの17万ドルであった。中間価格に比べて平均価格の下落が大きいという傾向は、ジュライやサラトガと同様である。すなわち、中間以下の価格帯はそこそこ動いているのに、高い方のマーケットが極端に弱いために、市場全体を沈下させていると市場の構造は、相変わらずここでも続いているのである。

 これを裏付ける数字は他にもある。昨年は2日目までに50万ドル以上で購買された馬が70頭いたのに対し、今年はこの価格に到達した馬が同時期で49頭に減少した。更に、セレクトセッションが終了して一般市場に突入すると、セール4日目の12日は、総売り上げが前年比4.7%ダウンで、平均価格がわずか1.6%ダウンの9万1千ドル。中間価格は逆に前年より10%ほど上昇の7万2千ドルと、市場はほぼ前年並みの水準で推移したのである。これは、7月のキーンランド・ジュライが平均価格31%ダウンの48万ドルと大きく落ち込んだのに対し、直後のファシグティプトン・ケンタッキーが平均価格0.1%アップの9万7千ドルと持ちこたえのと、極めて似た状況である。すなわち、10万ドル前後の価格帯は需要が多く、相変わらず強いマーケットを維持しているのである。

 そんな中、久しぶりに質量ともに良い買い物をしたのが、日本人バイヤーであった。日本の経済はアメリカ以上に深刻だから、日本人購買者の数が多いわけでは決してなかった。だが、これだけ市場が下がっている今、打って出ることが出来るタマを持っているプレイヤーにとっては、良質のアメリカ産馬を入手する絶好のチャンスであることは間違いない。そして、こういう厳しい時期に打って出る態勢を整えているプレイヤーには、そもそも日頃から成功を収めている『勝ち組』が多いはずだ。こうして、勝ち組だけに吹く順風に乗っかったプレーヤーが、更なる成功を収めていくのだろう。

 日本人購買による最高価格馬は、2日目の終盤に登場したプルピット産駒の140万ドル。つい先頃、サラトガのG1ホイットニーHで、ストリートクライ、リドパレスといった最強メンバーを相手に圧勝を演じたレフトバンクの弟にあたる牡馬である。同じく2日目の終盤に登場して100万ドルで購買された父シーキングザゴールドの牡馬も、日本人によると見られる購買馬。こちらは、母も兄も重賞勝馬で、母の兄弟にケンタッキーダービー馬シーヒーローがいるという血統だ。

 この他、今年のG1ドンH優勝馬マングースの弟(父アンブライドルズソング、80万ドル)、G1サンタアニタH勝馬ストューカの妹(父シアトリカル、23万ドル)、一昨年の全米スプリントチャンピオン・コナゴールドの妹(父ウッドマン、20万ドル)、母がG1テストS勝馬ファビュラスリーファストの牡駒(父キングマンボ、32.5万ドル)、G1・BCクラシック勝馬コンサーンの全妹(父ブロードブラッシュ、40万ドル)、今季の北米3歳牝馬では最強と目されるファーダアミーガの弟(父コジーン、20万ドル)、母がG1バイエリッシュヅヒトレンネン勝馬マーケットブースターの牡駒(父シーキングザゴールド、60万ドル)、G1オークローンH勝馬プレコシティの弟(父セイントバラード、25万ドル)、CCAオークス勝馬ジョッスルの妹(父アーチ、18万ドル)なども、日本人によると見られる購買馬。

 更に、日本で走った馬の弟妹では、サーガノヴェルの妹(父キングヴキングス、20万ドル)、2回函館の新馬を圧勝したロードアルティマの弟(父キングマンボ、50万ドル)、マイネルラヴの全妹(父シーキングザゴールド、13万ドル)、シンコウノビーの妹(父シルヴァーホーク、15万ドル)、イチロースワンの全弟(父ミスワキ、19.5万ドル)らも、日本で走る公算が大きい。POGフリークの皆さんは、結果を入念にチェックする必要があるセールとなった。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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