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田中博康騎手インタビュー Part1

  • 2012年04月02日(月) 12時00分
ちょうど1年前の4月から9か月間、フランスで長期海外修業を行ったタナパクこと田中博康騎手。09年にはユニコーンSで重賞初勝利、エリザベス女王杯でGI勝利も果たし、順調な騎手人生を送っていた矢先の決断でした。若武者の大きな挑戦に迫ります。


『きっかけはシルクメビウス』

赤見 :ちょうど去年の今頃ですよね。「田中博康騎手フランスで長期武者修行」の発表に驚いたのですが、海外を意識したきっかけは何だったんですか?


おじゃ馬します!

松岡正海騎手のアイルランド修行がきっかけ

田中 :最初に意識したのは、松岡(正海)先輩がアイルランドに行かれたことです(06年6月)。僕がデビュー1年目の頃で、それまでは正直、海外なんて行けるものだとは全く思っていなくて。エルコンドルパサーが凱旋門賞に行ったり、そういうのは知っていましたけど、自分がジョッキーとして海外に行けるとか、そういう考えはゼロでした。だから松岡先輩を見て、海外に行くことって可能なんだって。

赤見 :きっかけはその時なんですね。

田中 :そうですね。その時は「行く」とは思っていなかったですけど、「そういうこともできるんだな」と思いました。でも、現状に満足していたわけではないんですが、良い馬に乗せてもらったり、そのままなんとなく過ごしていたんですよね。


おじゃ馬します!

エリザベス女王杯で大金星

赤見 :端から見ると、09年6月にシルクメビウスでユニコーンSを勝って、その5か月後にはクィーンスプマンテのエリザベス女王杯でGIも勝って、すごく順調だなって思っていましたが?

田中 :いや、順調じゃなかったですよ。全然順調じゃなかったです、本当に。

赤見 :そうなんですか。一番そう思ったのは? 技術?

田中 :技術もですし、あとは精神的な弱さですね。弱い。

赤見 :弱い。自分に厳しいですね。

田中 :いやいや。全然ダメでしたね。そのメビウスが離れてしまって(10/12/5のジャパンCダートまで騎乗)、自分の技術のなさにも「まずいな」って思ったんです。もちろん、海外に行ったから技術がつくわけではないんですが、今なら失うものはない、今行かなかったら、まただらだら過ごしてしまうって思って。

赤見 :ああ。

田中 :自分の技術のなさとかを感じながらも、どうしていいのか分からないっていうのもあったんです。向こうに行ってそれが見つかるかは分からなかったですけど、行かないよりは行って、何か発見できたらなって。

赤見 :じゃあ海外に行く一番背中を押したのは、メビウスの存在?

田中 :それはありますね。

赤見 :やっぱりメビウスの存在は、すごく大きいんですね。

田中 :あの馬の存在は、結構というかとても大きいです。


おじゃ馬します!

ユニコーンSで人馬初重賞V

赤見 :コンビで重賞2勝ですし、後方からあの末脚で差してくるはまった時のレースは、素晴らしいですもんね。

田中 :素晴らしいんですけど、本当に申し訳ないんですけど、乗りこなせていないっていうのがあって。

赤見 :自分の中では?

田中 :はい。結果が出ている時期もあったんですけど、自分では納得がいっていなかったんです。

赤見 :乗っている自分が一番分かりますもんね。

田中 :分かりますね。それでおろされてしまって。それから馬も休養に入って結構経ちますけど(11/5/22の東海S以来休養)。また機会があればなって思いますけどね。今なら「こう乗れるかな」とか考えられるようにもなりましたし。だから今度そういう馬が現れた時には、もっと上手く乗ってあげたいっていうのはあります。メビウスは、本当に勉強させられる馬ですね。

赤見 :そうだったんですね。私はてっきり、クィーンスプマンテでGIを勝って、その後に香港に行ったから(09/12/13、香港C)、その影響で海外へ行ったのかなって思っていました。

田中 :ああ。それはなかったです。むしろ、香港は今行きたいですね。

赤見 :海外を経験している今だから。

田中 :はい。まあ、世界を全部見たわけではないですけど、ずっと日本の中でやってきたところから、広く視野を持てるようになって。競馬って本当に世界中でやっています。むしろ、やっていない国の方が少ないくらいだと思うんですけど、そういうものを肌で感じてきた今の状態で行ってみたいですし、乗りたいですね。

赤見 :この時期はドバイもありますしね。

田中 :そうなんです。今までは漠然と「ドバイは今週か。日本馬はどうだろう?」っていう感じでしたけど、今はすごく興味がありますし、日本馬が出ていないレースも見たいです。楽しみですし、自分もそういう場に立ちたいって思いますね。

赤見 :修行の場所にフランスを選んだのは?

田中 :フランスに行かれていた(武)豊さんに話を聞いたのと、通訳もエージェントもなしで行くことになったので、日本人が多くいるところと。あとはビザの関係もありますね。

赤見 :ビザを取るのって大変なんですよね?

田中 :そうですね。でもフランスの場合はわりと早く取れました。イギリスだと半年かかったりするっていうのも聞いていましたからね。だから、去年の1月くらいに行くって決めて、サッと進みました。(Part2へ続く)


◆田中博康騎手と一問一答
Q.タナパクさんはじめまして! フランスから久しぶりに日本に戻ってきて、びっくりしたことはありますか?

田中 :びっくりしたことですか? メシがうまいなっていうことです。もう、吉野屋からなんでも、すべてうまかったですね。

赤見 :あははは(笑)。テレビを見ていて、知らない芸人が売れていたりとか?

田中 :ああ、それはありました。ニュースは見ていたんですけど、芸人とかは分からなかったですね。

赤見 :競馬はどうですか?

田中 :競馬は全部チェックしていたので、びっくりしたっていうのはないです。競馬はずっと見ていました。

Q.長期間海外に行くというのは、ものすごく勇気ある決断だと思います。騎手仲間に相談しましたか? 打ち明けた時はどんな反応でしたか?

田中 :いや、騎手仲間には誰にも言っていなかったんです。豊さんには相談というか、いろいろ教えてもらいました。海外によく行かれていて、特にフランスには長く行ってらっしゃいましたし。

赤見 :行くことが前提でリサーチをしたんですね。周りに「行ってくる」って言った時の反応は?

田中 :「えっ」って(笑)。時期的に震災があって、なかなか言えなかったっていうのもあります。でも準備は始めていましたし日にちも決まっていたので、あの時期に行く形になったんですけど。震災で小倉開催が長くなったので、なかなかこっちに帰ってこられなくて。本当ならもうちょっと早く帰ってきて、みんなに言ってから行く予定だったんですけど、美浦にちょっと顔を出して、すぐに行ったっていう感じです。

赤見 :みんなが呆気に取られている間に。

田中 :行っちゃったっていう(笑)。


◆田中博康
1985年12月5日、埼玉県出身。競馬学校22期生、同期は北村友一や的場勇人ら。06年3月、美浦・高橋祥泰厩舎からデビュー(現在フリー)。同年の勝利は4勝に留まるも、翌07年には44勝と飛躍。09年6月、シルクメビウスのユニコーンSで重賞初勝利。11月のエリザベス女王杯ではクィーンスプマンテで逃げ切り、GI勝利同期一番乗りを果たした。通算成績は109勝、うち重賞3勝(4月6日現在)。


◆予告
技術の向上と精神力強化のため、フランスでの長期武者修行を決意した田中博康騎手。単身、異国の地フランスへと旅立ちました。しかし、待っていたのは日本とは180度違う競馬の世界。いきなりの試練に、タナパクはどう立ち向かったのでしょうか。公開は4/9(月)。お楽しみに。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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