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江田照男騎手(3)『自分がするべきは、勝って恩を返すこと』

  • 2012年11月19日(月) 12時00分
“騎手引退”まで考えたという、突然の体の不調。腰の痛みは、騎手にとって大きな痛手。この局面を、江田騎手はどうやって乗り越えたのか。今回は、そんな江田騎手の騎手魂から、記憶に新しいネコパンチの日経賞の舞台裏、レース後涙を流したという忘れられないレースに迫ります。(11/12公開Part2の続き)

赤見 :腰の痛みがひどくて、騎手を辞めることまで考えられたということですが、そこからどうやって踏ん張ったんですか?

江田 :トレーニングしましたね。腰が痛い原因は、筋力が落ちているからだということを言われて。だって、靴下も履けないくらいだったんですもん。腰が痛くて、かがめないの。ゆ〜っくり動かして、やっと履けるかなというぐらいだったから。だから、もう、駄目で元々という感じで、とりあえずトレーニングをやってみたんですけどね。

赤見 :それで良くなっていったんですか。

おじゃ馬します!

腰の痛みを克服するために…

江田 :うん。もちろん急に治ったりはしなかったけど、気がついた時には、大丈夫になってきたなという。それで、「また頑張ろう」という気持ちになりましたね。

赤見 :急に良くなったわけじゃないということは、モチベーションを保つのも大変だったと思いますが?

江田 :う〜ん、モチベーションねぇ…。まあ、そういう状況でも騎乗依頼をもらっていたので、そうすると「どうにかしないといけないな」って思いますよね。「乗せてもらうからには、どうにかしないといけない」という気持ちで競馬に乗るじゃないですか。だから、その乗せてもらえることで、モチベーションを保っていたのかもしれないですね。

赤見 :でも、その時には、騎手を続けていれば、将来またGIを勝てるとかはわからないじゃないですか。

江田 :ああ、それはそうだよね。まあ、しばらくすると、競馬に乗っていても腰が痛くないと思えるようになったのでね。「腰が痛くなるんじゃないか」とか、そういう気持ちがあると、乗る方にしっかり気持ちが向かないじゃないですか。そういうことがなくなって、自分の体でしっかりレースができるようになったというところで、気持ちを上げていったんだと思います。

おじゃ馬します!

見事逃げ切り!ネコパンチの日経賞

赤見 :その結果、大きいところで言えばテンジンショウグン、ダイタクヤマト、ネコパンチなどの勝利につながっていくんですね。いや〜、でも、(日経賞での)人気薄のネコパンチでのあの逃げ切りは、気持ちいいんでしょうね〜。

江田 :そうだね。でも、競馬に乗っていて、逃げて勝つのも確かに楽しいんだけど、後ろから差したときの方が面白くない? 面白いというか、気持ち良くない?

赤見 :あ、それ、“逃げの”中館(英二)さんもおっしゃっていました。「逃げるより追い込みの方が気持ちいいよ」って。

江田 :そうでしょうね。まあそれにはメリットとデメリットがあって、後ろから行く馬は、他の馬に邪魔されるケースがあるのでね。でも逃げ馬って、そういうことはないじゃないですか。競られて絡まれてっていうのはあるけど、邪魔されるっていうことはないから。

もう1つは、ペースですよね。ペースが落ち着いていれば、後ろから行くとどこに突っ込んでいこうかなとなるけど、逃げ馬のコース取りは他の馬に関係ないですから。そういった意味では、逃げた方が競馬はしやすいと思うんですけど、でも、後ろから差した方が面白いです。乗っている方からするとね。

赤見 :なるほど。このネコパンチには、日経賞の前から騎乗されていますよね。最初が09年ですから、結構前からですよね?

江田 :そうね。星野忍厩舎の前の、小林常泰厩舎にいる時から乗っているからね。だって、今みたいな長い距離じゃなくて、1800mとか1200mでも乗っているんだよ。でもさ、負けが続いていたのが、馬ってどうやって強くなっていくんだろうね。馬に聞いてみたいよね。そう思わない?

赤見 :そうですよね。6歳で初重賞勝ちですもんね。

江田 :そうそう。元々気持ちはすごく前向きな馬なんですよ。それで、長いところでも結構いいところまできていた。だけど、決め手がないというね。

赤見 :ああ。

江田 :長く脚は使えるけれども瞬発力がないというのが、この馬の長所と短所だったんです。頑張って走るんだけれども、なんせ上がりの瞬発力がない分、どうしても切れる馬にやられる、そういうイメージで乗っていたんですよね。で、スタートもあんまり速くない。スタートが速くないから、途中から引っかかるんです。

赤見 :でも、日経賞の時は、ハナを切ってレースができました。

江田 :この時は「行けたら行って」という指示だったので、ゲートを出て、出していってね。まあ、相変わらずスタートは遅いので強引に出していって、自分のリズムになってきたらハミを取ってという感じだったんですけどね。馬場は悪かったんですが、それは苦にするような走りではなかった。だから、この馬にはそういう馬場が向いていたんでしょうね。あとは「どこまで粘れるかな」という気持ちで乗っていました。

赤見 :そのまま先頭で直線に向いた時は、歓声が上がりましたね。

江田 :ああ、そうね。直線向いた時にも手応えがあったし、そこでちょっと反応を見たら馬もまだ走る気があったので、「ああ、これなら逃げ切れるな」とは思いました。

赤見 :この勝利は、インパクトが強かったですね。また、管理する星野(忍)厩舎ともご縁が深いですよね? ネコパンチの日経賞が厩舎久々の重賞勝利でしたけど、振り返ると、ヤマニンアラバスタが厩舎の重賞初制覇(05年新潟記念)。やっぱり、この馬も江田騎手にとっては思い出深いですか?

江田 :そうですね。新潟記念の前の年に、中山で勝って(紫苑S)、降着になったんです。だから、その後の秋華賞、エリザベス女王杯はもちろん乗せてはもらえなかった。それでも、その後にもう1回乗せてもらえたことがすごくうれしかったんです。そうすると、「どうにかしたい」と思うじゃないですか。

赤見 :もう1回チャンスをもらえたので。

江田 :そう、チャンスをもらえたので。もう1回乗せてくださったオーナーに感謝しましたし、先生にも恩を返えしたいって。そこで自分らが何をしなきゃいけないかって言ったら“勝って恩を返す”、それしかないのでね。だから、その新潟記念を勝てたのは…感動しましたね。感無量でした。

おじゃ馬します!

「大きな勝利だったんですね」

赤見 :大きい勝利だったんですね。

江田 :大きかったですね。オーナーや先生に、「ありがとうございます」っていう気持ちでした。本当、すごくありがたかったですね。この時は、インタビューで涙を流しましたよ。自分の中でこみ上げてくるものがあるじゃないですか。

赤見 :しっかり恩返しができたという喜びとか。

江田 :うん。またそういうのって、自分だけの問題じゃなくなってくるというかね。ましてや、勝っていたはずレースで降着になったということは、その馬の道程が変わってくるんですよね。本当なら上のクラスに行けていたところを、ローテーションを変えてしまう可能性があった。そこで、すごく責任があったので。

赤見 :勝つか負けるかで、その後が大きく変わってくる…こういうドラマは、お話を聞いているだけでこっちも感動します。最近はどうしても、乗り替わりが多いですから。

江田 :そうだよね。そういう時代になってきているよね。(Part4へ続く)

◆次回予告
次回は、江田照男騎手インタビューの最終回。「江田騎手の“買い”レース」を、穴男自らが伝授します。馬券ファン必見の情報。公開は11/26(月)12時です。お見逃しなく!

◆江田照男
1972年2月8日生まれ、福島県出身。同期は村山明(現調教師)など。90年に美浦・田子冬樹厩舎からデビュー。同年の新潟記念を、14番人気のサファリオリーブで制し重賞初勝利。重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録。また、同年は関東新人騎手賞を受賞。翌91年にはプレクラスニーで天皇賞・秋を制覇。1位入線のメジロマックイーンの降着があったが、デビュー2年目でのGI勝利という快挙を達成した。その後、00年のスプリンターズSを16番人気のダイタクヤマトで逃げ切るなど、大舞台で多くの波乱を演出。「穴男」の異名でファンに親しまれている。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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