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起死回生、高知競馬(2)

  • 2014年03月28日(金) 18時00分


◆高知競馬を回復させた関係者の熱意

 廃止寸前から奇跡的ともいえる回復を遂げている高知競馬について、前回からの続きを。高知競馬の売得額は、2008年度には38億8091万円(1万円未満は省略、以下同)にまで落ち込んだのが、2013年度(2013年4月〜2014年3月)には、なんと110億円を超えようとしている、というのが前回までのところ。

 そもそもの危機は2003年度の開催前。高知競馬では2002年度までの累積赤字が約88億円までに膨れ上がり、存続か廃止かが議論され、このときに大英断を下したのが、競馬に好意的だった当時の高知県知事、橋本大二郎氏だ。88億円を県と市が肩代わりして一旦清算し、その後は四半期ごとに予算を精査して、1円でも赤字が出れば、そのときは即廃止というもの。

 高知競馬にとって幸運だったのは、まさにこの存続を決めた年に“負け組の星”といわれたハルウララが現れたこと。注目され始めたのは通算90戦前後の頃だったように思う。地元紙で特集が組まれ、ブームに火が付いた。ハルウララに助けられた2003年度の売上げは66億円余り。しかしハルウララが引退した翌2004年度には、50億円を割るまで一気に落ち込んだ。

 その後も売り上げは下降の一方をたどり、冒頭で触れたとおり2008年度には38億8091万円と、ハルウララの年の半分近くにまで落ち込んだ。それでも競馬を続けてこられたのは、赤字が出そうになるごとに予算を組み直し、賞金・手当の減額や、従事員などにかかわる経費を削減してきたからだ。

 ちなみに2008年度の高知競馬の1日あたりの売得額は4千万円ちょっと。ばんえい競馬や、2011年限りで廃止された荒尾でも同じ年には7千万円以上はあり、地方競馬のなかでも断トツに低かった。当時にしてもそうだが、今考えてもよくこれで競馬が続けてこられたものと思う。

 復活のきっかけとなったのは、2009年7月下旬からスタートした“夜さ恋ナイター”。もう後がない状況で、これも英断だったと思う。そもそもナイター開催のための照明などを設置する予算もない。しかしこれは補助金などでまかない、すでにナイター競馬が行われている競馬場よりかなり低予算のナイター設備で通年ナイターがスタートした。

 結果、2009年度は54億8032万円を売上げ、前年度比では141.2%を記録。その後も他場との開催日を調整するなどして売上げを伸ばし、さらに2012年10月には地方競馬IPATがスタートしたこともあり、驚異的ともいえるV字回復となった。2013年度は、この2月までの1日あたりの売得額は1億1214万円で、前年同期比では138.0%。高知で1日平均が1億円を超えたのは、累積赤字を清算した2003年度以降ではもちろん初めてのこと。どん底だった2008年の、じつに3倍近い額(1日平均)を挙げていることになる。

 しかしこれで安泰というわけではない。感触としては、ようやくこれで競馬が続けていけるメドがたったという状況ではないだろうか。限界まで落ち込んだ賞金もここ2年ほどで少しずつアップされているが、それでも最下級条件の1着賞金は10万円。1着を獲っても、出走手当を足して、ようやく1か月の預託料になるかどうか。馬を預ける馬主にしてもまだまだ楽ではない。今年度は地方競馬全体で売上が好調だが、この4月以降の消費税アップが競馬に与える影響も心配されるところ。

 それにしてもこれほどのV字回復を遂げた高知競馬には、たしかにいくつかの幸運はあったが、その幸運を呼び寄せて、さらに生かしたのは、やる気を失わなかった関係者の熱意によるところが大きい。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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