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【特別連載】大混乱の中津競馬廃止騒動/あの時なにが起こったか〜競馬場の廃止と再生(1)

  • 2014年06月17日(火) 18時00分
地方競馬の廃止と再生

▲取り壊しの始まった高崎競馬場跡地


 2004年12月31日に廃止された高崎競馬場。廃止後も建物は残っていましたが、10年経った今年、コンベンション・センターへと生まれ変わる工事が開始されました。

 その高崎競馬場で騎手として活躍し、競馬場の廃止を当事者として経験した赤見千尋さん。「あの時何が起こっていたのか」、節目の年にいま一度、当時を振り返えることにしました。

「なぜ競馬場がなくならなければならなかったのか」「誰がどんな戦いをしていたのか」「関係者たちの思いは」

 廃止ラッシュにある地方競馬の現状を見つめ直すとともに、地方競馬の再生について考える特別コラム。6/17(火)〜19(木)の3日間、短期集中連載でお届けします。

2001年、中津競馬(大分県)からスタートした廃止ラッシュは、新潟・益田(島根県)・上山(山形県)・足利(栃木県)・高崎(群馬県)・宇都宮(栃木県)と続き、たった4年の間に7つ(主催競馬場のみ)の競馬場が消えていった。さらに、荒尾(熊本県)・福山(広島県)が廃止となり、結局平成に入ってから13もの競馬場が廃止に追い込まれたのだ(三条/新潟県・岩見沢・北見・旭川/3場とも北海道を含め)。長く苦しい時代を過ごし、たくさんの犠牲を払った現在、地方競馬は2年連続で総売得金が前年比を上回るなど、再生へ向けての光が差し込んでいる。13もの競馬場を失って、やっと見えて来た光。今、改めて廃止の現実を振り返り、再生へと繋げるための道を探したい。(取材・文・写真:赤見千尋)

◆蚊帳の外に置かれた関係者

 始まりは中津競馬場だった。2001年2月10日、大分合同新聞に写真付きの大きな記事が躍った。中津競馬廃止へ――累積赤字が20億円を超え、来春をめどに廃止するという内容だった。管理者である鈴木一郎中津市長(当時)のもと、すでに監督官庁である農林水産省にも意向を伝えているという。次の日には全国紙がこの記事を後追いし、地方競馬全体に衝撃が走った。

 中津競馬関係者は、この新聞により廃止を知ったという。主催者が競馬を経営し、不振に陥り、廃止を決定する。監督官庁には意向を伝えても、関係者には伝えない。一番の当事者である現場の関係者たちは、常に蚊帳の外に置かれていた。

 同じ九州の佐賀競馬と荒尾競馬にとっても、大きな衝撃となった。前年の6月から、九州3つの競馬場でタッグを組み、「九州競馬」をスタートさせたばかりだったのだ。この改革は順調に進んでおり、中津も1日当たりの売り上げが前年比50%増を記録。収支は改善に向かっている時だった。3場の一角である中津の突然の廃止発表に、連携を深めていた佐賀と荒尾は、再びの経営転換を迫られた。

 15日には、佐賀競馬が単年度で9億円の赤字に達し、「中津のように累積赤字を抱える前に廃止を検討するべき」という意見が噴出した。佐賀まで廃止になれば、九州は全滅になる可能性がある。中津廃止報道からたった5日で、これまで燻っていた火種が表面化した。

 しかし、中津廃止のショックはこれで終わりではない。

 廃止報道から3日後の13日、中津市役所の中で開かれた中津競馬組合会議において、鈴木一郎市長(当時)は、「6月末まで開催し、7月には廃止したい」と正式に表明した。廃止は6月末――。調教師、騎手、厩務員、獣医や装蹄師、開催中のアルバイトなどを含めた約400名の関係者たちは、その後の処遇や職探しに不安を抱きながらも、目の前の開催を遂行しようとしていた。

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