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幸運に恵まれた、とある1頭の競走馬のストーリー

  • 2014年06月24日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲今週は“スカイブルー”という美しい名をもつ馬のストーリー(撮影:佐々木祥恵)



◆テレビの競馬中継をきかっけに

 埼玉県日高市の「つばさ乗馬苑」に、競走馬としては無名だった1頭の黒鹿毛が余生を過ごしている。オーナーから美味しい人参をもらって顔をほころばせ、時折、人を乗せて優等生振りを発揮し、先輩と慕う馬と友情を育みながら、穏やかな日々を送っている。

 今回は1人の女性との運命的な出会いから始まった、スカイブルー(セン11) という1頭の馬の幸運なストーリーをお届けする。

 2006年6月24日、埼玉県在住の大野茂美さんは、テレビで競馬中継を観戦していた。福島競馬場の4コーナーで、2頭の馬が落馬した。落馬した馬が心配になり調べてみて驚いた。

「2頭のうちの1頭が、父も母も私が大好きな馬だったのです。その時まで全く知らなくて・・・」(大野茂美さん)

 これが運命の出会いであった。父は2001年に新潟記念を勝ったサンプレイス、母はグレンツェンフーヘ。2頭の間に生まれたのがスカイブルーだった。よりによって、初めて目にしたレースで、スカイブルーは落馬して競走を中止したために、故障したのかもしれないとショックを受け、生存も諦めかけていた。

 だがスカイブルーは、競走中止したレースの後に、岩手競馬に移籍をしていた。大野さんは、スカイブルーが所属する厩舎宛に手紙を書いた。大好きな2頭の間に生まれた子供であったこと、これからもずっと応援していきたいことなど、思いのたけを手紙に綴った。

「ファンが厩舎関係者に連絡を取るとしたら、手紙しかないんです。それに手紙は心がこもると思うんですよね」。スカイブルーを管理する三野宮通調教師から、すぐに返事が届いた。そこには「是非、水沢まで応援に来てください」と書かれていた。都合さえつけば、埼玉の自宅から岩手まで応援に駆け付ける日々が続き、厩舎でスカイブルーにも対面することもできた。

 手紙を書いた時点で、引退後はスカイブルーを引き取ろうという気持ちをほぼ固めていたが、苦い経験もしていたために、三野宮調教師にその気持ちをすぐには伝えてはいなかった。

◆「こんなに気持ち良く見送ったことはない」

 それまでも大野さんは、応援している馬が所属する厩舎宛に何度も手紙を出してきた。返事が来ることもあれば、なしのつぶての場合もあった。ある時、1頭の馬が某地方競馬場に移籍し、その馬のファンであること、もし引退した時には引き取って余生を過ごさせたいという内容の手紙を厩舎に送った。

「調教師から返事が来たのですけど、これからまた競走馬として頑張ってやっていこうと思っているのに、引退後のことは考えたくない、もう応援して頂かなくて結構です・・・というような返事でした」

 その手紙から数年後、その馬は地方競馬を抹消されて行方がわからなくなった。今も探し続けているが、手掛かりは得られないまま時間だけが経過している。その他にも引き取りたいと考えていた馬が、乗馬になった先で、障害調教中に骨折して亡くなったこともあった。いくら引き取りたいと思っても、タイミングや先方との気持ちが一致しなければ、うまくいかないことが身に沁みていた。

 大野さんが慎重になっていると、三野宮調教師の方から提案がなされた。「そんなにブルーが好きならば、引退後は引き取ってくれませんか」

 地方競馬を抹消された後の競走馬の余生は、決して明るいものではない。これまでたくさんの馬を見送ってきた三野宮師は、せめて熱心なファンがついたスカイブルーに穏やかな余生を過ごしてほしいと思ったようだった。大野さんも、すぐに承諾をした。

 岩手で約3年半競走馬生活を続け、2010年1月9日のレースを最後にスカイブルーの引退が決まった。「引退して馬運車に乗って行く馬を、こんなに気持ち良く見送ったことはないと三野宮先生は言っていました」(大野さん)

第二のストーリー

▲スカイブルーと大野さんとお孫さん(提供:大野茂美)


◆アニキと慕う僚馬と穏やかな日々

 最初にブルーが向かった先は、大野さんと交流のあった福岡県の福岡馬事公苑だった。だが福岡では、たまにしか会えない。遠い九州の地でブルーと対面した大野さんは、自宅近くの乗馬クラブに預託を依頼しようと決心した。土谷麻紀さんが代表をつとめる「つばさ乗馬苑」だ。

「麻紀さんがまだ東松山市にある馬頭観音で馬の管理をしていた頃に、馬頭観音の住職をはじめ、周囲の人があの子は馬のために本当に頑張っている、あの子に面倒を見てもらう馬は幸せだよと聞かされて、麻紀さんと話をするようになりました。実は最初に福岡馬事公苑かつばさ乗馬苑か迷ったのですが、麻紀さんが当時は1人で大変そうだったので、スタッフの多い福岡にしたのです。でも麻紀さんに相談したら、快く引き受けてくれましたし、彼女ならブルーを託しても安心できると思いました」。水沢から福岡、福岡からから埼玉と、少し遠回りにはなったが、ついにブルーは安住の地にやって来たのだった。

「ウチにいるどの馬よりハンサムで、線が細い綺麗な馬でした。ジャニーズ系かなという感じでしたね(笑)。気性が激しい面があると聞いていましたけど、実際は大人しいくらい。馬主の大野さんがブルーと呼んでいましたので、こちらでもブルーと呼んでいます」(土谷麻紀さん)

 つばさにやって来て間もなく、友達もできた。隣の馬房にいる先輩の春風(セン20・競走馬名ヒガシノサンサン) だ。春風は地方競馬時代、1997年のダービーグランプリ(GI・7着・勝ち馬はテイエムメガトン) にも出走した経験がある活躍馬だった。

「何頭かで放牧し始めたら、春風(競走馬名・ヒガシノサンサン) をアニキのように慕い始めました。放牧すると春風を追いかけて離れないですし、春風のやること全部を真似していました(笑) 」(土谷さん)

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▲アニキと慕う春風と、左が春風で右がスカイブルー(提供:つばさ乗馬苑)


 大野さんも、ブルーがつばさにやって来た後1か月間は、人参やリンゴを持参して毎日欠かさず通った。「自分を覚えてほしかったですしからね。今では私が行くと鳴いて喜んでくれるんですよ」

 今年で11歳になったブルーは、乗馬としても活躍している。「大野さん自身は乗馬をされないのですが、是非お客様を乗せてくださいと言っていだきました。ウチに来てしばらくは、他の馬たちがどういう動きをしているのかを見てほしかったので、馬場の方を向いている馬房にしました。他の馬たちが人を乗せて仕事をしている様子を、本当に良く観察していました。号令もすぐに覚えましたし、乗馬への転用もスムーズにいったのも、ブルーがよく観察して、自分なりに仕事を理解していたからだと思います」(土谷さん)

 乗馬として将来性もありそうだ。「人が乗っても大人しくて、最初は動きが重い感じでしたし、初心者を乗せても大丈夫でした。最近は乗馬の調教もだいぶ進んできましたので、重さもだいぶなくなってきました。体型がすごくきれいで、首を美しく屈頭してくれます。乗り心地も良くて、元競走馬だったとは思えないほど、駆歩もゆっくりしていますね。

 乗用馬には問題なく転用できましたし、人を乗せるのが仕事だと理解して、集中して一生懸命頑張っています。このまま頑張っていけば、競技会にも出られそうですよ。横木が1本馬場に置いてあるだけで後ずさりするので(笑)、障害向きではないでしょうから、馬場馬術になると思いますけどね」(土谷さん)

◆競走馬を引き取るということ

 現在つばさ乗馬苑には26頭の馬がいる。30歳近いと思われる、いつ倒れても不思議ではない和種も、ここでは大切にされている。

「私の中では人間も動物も同じ1つの命なんですね。特に馬は生きている間、人にずっと貢献して、貢献することで命をつないできています。馬が動いてくれていて初めてお客様が来てくれるわけで、馬に食べさせてもらって、助けてもらって生活しているのです。

 ですから人間に貢献をしなくなったからお肉にして食べてしまおうというのではなく、仕事が終わった馬に対しては、せめて自分ができるだけのことはしてあげたいと思っています。馬たちが生きる気持ちがあるうちは、できるだけ支えてあげたいというのが、今の気持ちですね。例え年老いてヨボヨボしていても、ご飯が食べたい、放牧地に出たいとその馬が思っているならば、それを叶えてあげたい、それだけなんです」

 そう語る土谷さんからは、気負いは感じられなかった。ただ当然のことをしているだけ・・・そのような気持ちが伝わってきた。

「麻紀さんのところだから、ブルーも全く不安がないんですよね」、大野さんも土谷さんの馬や動物に対する考え方に深く共感し、信頼を寄せている。

第二のストーリー

▲大雪にはしゃぐスカイブルー(提供:つばさ乗馬苑)


 ところで馬という大きな動物の命を引き受けることへのプレッシャーは、大野さんにはなかったのだろうか。

「初めから引き取ろうと考えてはいましたが、三野宮先生に引き取ってくれませんかと聞かれた時には、自信がないという気持ちが一瞬よぎりました。でもこの馬の今後を考えた時に、覚悟を決めました。幸い正社員で安定して働けていましたので、預託料も支払っていけるだろうと思いました」

 現在大野さんは、月々6万円の預託料(削蹄代、獣医代、予防接種代は別途)を支払っている。ブルーの寿命が尽きるまで、それはずっと続いていく。けれども、土谷さん同様、大野さんにも気負いは感じられなかった。

「ブルーは、もう生活の中の一部ですね。馬には乗らないですけど、私は満足です。仕事で疲れても、ブルーの顔を見ると疲れも吹き飛びますしね。ブルーがいるのが当たり前の感じです」(大野さん)

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▲大野さんとつばさ乗馬苑の土谷麻紀さん(左下)と岩手から会いに来た三野宮通調教師(右下)(提供:大野茂美)


 大野さんや土谷さんの話を聞いて、馬の命をつないでいくには強い意志や覚悟も大切だが、私たち人間と変わらない1つの尊い命として、その余生を支えていくという、むしろ人として当然の気持ちがあってこそなのではないかと思った。そのせいだろうか、つばさ乗馬苑には悲壮感は漂っていない。むしろ集まる人は皆明るいし、馬たちの表情はリラックスしている。もちろんブルーも春風も、今日も元気に戯れているはずだ。

「ブルーは馬生を謳歌しているという感じですよね」、馬繋場で手入れをされて気持ち良さそうな表情のブルーを見つめながら、土谷さんは微笑んだ。

「幸運なストーリー」冒頭にこう書いたが、幸運に恵まれないと競走馬たちの余生は保障されない。人間も運命に翻弄されはするが、自分の意志で人生を切り拓き、運命を変えてはいける。だが馬は、自分で馬生を選べないし、切り拓いてはいけない。馬たちの命運は、我々人間が握っていると言っても過言ではない。有名、無名に関わらず、1頭でも多くの馬に「幸運」が訪れてほしい。そのために、自分に何ができるのか。できることから行動していかなければ・・・。幸せな余生を手に入れたブルーの穏やかな表情を前に、改めて思った。

(取材・文:佐々木祥恵)


※つばさ乗馬苑
埼玉県日高市大字大谷沢681−1
電話:042-984-3410
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tsubasa-rc/tsubasa_cheng_ma_yuan/Welcome.html

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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