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23年の生涯を終えたエイシンワシントン、最後の5年間を振り返る

  • 2014年08月05日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲7月8日23歳でに息を引き取ったエイシンワシントン



◆臆病な性格はずっと変わらず


今年に入って、かつて競馬ファンを魅了した名馬たちの訃報が相次いでいる。1990年代に活躍したアメリカ生まれの名スプリンター、エイシンワシントン(享年23歳)もその1頭だ。

 1993年11月28日、中京競馬場の芝1200mの新馬戦で、持ち前のスピードを発揮してレコードタイムで快勝。華々しいデビューを飾った。しかし、度重なる骨折に泣かされた競走馬生活は、決して平たんなものではなかった。それでもCBC賞(GII)、セントウルS(GIII)など、25戦8勝の活躍を見せる。中でも、10分以上にも及んだ長い写真判定の末、フラワーパークに僅か1cmのハナ差で2着に敗れた1996年のスプリンターズSは、今も語り草となっている。

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▲フラワーパークに1cm差で敗れたスプリンターズS(撮影:下野雄規)


 寸でのところでGIという大きな勲章を逃したワシントンに、さらなる悲劇が襲う。淀短距離Sに向けての追い切りで、右第一指節種子骨複骨折を発症。これまでと違って安楽死処分も検討されるほどの重傷だったが、懸命の治療が施されて命は繋がり、北海道・静内町(現・新ひだか町)のレックススタッドで種牡馬入りを果たした。

 だが、現実は厳しかった。産駒たちは期待されたほどには成績を残せず、2009年に種牡馬引退となる。繋養先のレックススタッドからホーストラストに直接連絡が入り、エイシンワシントンは終の棲家への移動が決まった。

 遠い北海道から馬運車に揺られて鹿児島県にやってきたのは、2009年10月19日。ホーストラストの当時のブログには、馬運車から怖がって飛び降りる様子や、初めて見る光景にビクビクしながら放牧地へ移動し、そこにいる群れの仲間たちと挨拶を交わす様子などが写真とともに紹介されている。

「筋肉がムキムキでした」、ホーストラストの大野恭明さんが、エイシンワシントンと初めて対面した時の第一印象だ。

「とても臆病で、最初はイレ込みやすかったですね。それがレースでの逃げ脚にもつながっていたのかなとも思います」(大野さん)。怖がりには逃げ馬が多いと言われているが、ワシントンのスピード溢れる華麗な逃げは、同馬の持つ臆病な性格にも起因していたようだ。

 素顔のワシントンは、人間よりも馬が好き。放牧中はいつも仲の良い馬とともに過ごし、牝馬への執心振りもかなりのものだった。

「去勢されてはいたのですが、ウチに来る直前まで種馬だったこともあり、牝馬が大好きでした(笑)。来たばかりの頃は、興奮してよく牝馬を追いかけていましたよ」(大野さん)

 最初はビクビクしながら放牧地に入っていったワシントンだが、次第に環境にも慣れ、霧島の自然に抱かれた放牧地で仲間たちとの平和な時間を楽しんでいたようだ。

「基本的にゆったりのんびり過ごしていましたけど、餌を催促する時の前がきは相当激しかったですよ(笑)。それに何か怖いことがあると、ビクッとしてバタバタと暴れていました。他の馬に比べるとリアクションが大げさでしたね(笑)。年を重ねてだんだん丸くなって落ち着いてきましたが、嫌なことがあると立ち上がったりもしていましたし、臆病な性格はずっと変わらなかったですね」(大野さん)

◆ファンに関係者に愛され続けた生涯


 ホーストラストには、エイシンワシントンの娘・ヤマシロ(牝15)と、その子供のリッカトレジャー(セン7)も暮らしている。

「2頭ともワシントンに似て、気が小さくてイレ込みやすく、嫌なことがあるとバタバタします」(大野さん)。偶然とはいえ、父、娘、孫の三代がホーストラストで余生を送っていたのにも驚いたが、気性面でワシントンの遺伝子が確実に後世に伝えられていることにも、血の不思議を感じた。

 ファンの多い馬でもあった。「ホーストラストの預託料は1頭3万円なのですが、功労馬の助成金が3万円から2万円に減額になった時、その不足分を補うためにスポンサーを募集しました。ワシントンはすぐに満口になりました」(大野さん)。このエピソードからも、その人気の高さがわかる。

 ホーストラストにはいくつかの敷地があり、そのうちの1つに、やって来たばかりの馬や体調を崩した馬のための、通称・和田牧場(以前その土地にあった牧場の名前)がある。現役引退の原因となった右前肢の種子骨骨折の影響で、球節が完全に固まって動かず、それをかばっているうちに反対の左前の蹄を痛め、ここ1年半ほどは和田牧場で過ごしていたが、最近は元気に歩き回っていたという。

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▲仲間たちとの平和な時間を楽しんだ(提供:ホーストラスト)


 そんな日々に変化が起きたのは、7月7日。「朝飼いの時に、右後肢に体重をかけられない状態になっていたのが確認されました」(大野さん)。いつも通りに食欲もあって一見元気そうだったが、右後肢脛骨骨折で予後不良という診断が下り、翌朝、ワシントンは静かに息を引き取った。

「スポンサーになって下さっている地元の方が、ワシントンが亡くなった際に駈けつけてくれて、すごく泣いていらっしゃいました。本当に愛されていた馬だったのだなと改めて思いました」(大野さん)

 スタッフにとっても、ワシントンの突然の死のショックは大きかった。「晩年の担当者(住広憲治さん)も、何故亡くなってしまったのだろう…と言っていました。ワシントンに対してしてもっとしてあげられたことがあったのではないか、そうすれば結果は違ったのではないかと思ってしまいますね」(大野さん)

 だが、これはあくまで人間の物差しではあるが、ワシントンの晩年は幸せだったと思う。競走馬時代はGIという大きな勲章を得られず、種牡馬としても不遇だったかもしれないが、ホーストラストで過ごした約5年間は、仲間の馬たち、ファンやスタッフなど、たくさんの人に愛されながら、ワシントンらしい生を全うできたのではないかと感じたからだ、

「ワシントンが仲良かった馬の中には、天国に先に旅立っていった馬もいます。今頃その仲間たちと天国で再会しているのかなと想像しています」

 大野さんのその言葉を聞いて、肉体の痛みから解放されて、生き生きと楽しそうに天翔けるワシントンと仲間たちの姿が見える気がした。

(取材・文:佐々木祥恵)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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