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勝てなかった馬たちへ!ホースセラピーという新たな居場所(1)

2014年11月03日(月)18時01分

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ホースセラピー

▲競馬界のトップトレーナー角居勝彦が描く、馬のいる社会とは


『馬のために何かしたい』角居調教師を動かした想い


 馬とは、本来群れて暮らす生き物である。人よりも大きな体を持ちながら、とても従順で優しい性格をしており、たくさんの仲間たちと共に穏やかに過ごす――これが馬に与えられた性質なのだ。この特性を活かし、馬に乗ったり触れ合ったりすることで、心理的・身体的に癒しを味わうこと、これがホースセラピーである。馬に近づいて行くと、大きな瞳でじっとこちらを見つめて来る。触ってみると、じんわりと温かい体温が伝わって来る。言葉を発することが出来なくても、馬の優しさは体から滲み出ているのだ。

 今、このホースセラピーに力を注いでいる男がいる。角居勝彦、言わずと知れた競馬界のトップトレーナーだ。ウオッカやカネヒキリで数々のGIを制し、ヴィクトワールピサやルーラーシップで世界の舞台を制して来た。その角居が、なぜホースセラピーに興味を持ったのだろうか。

「牧場で働いている時に、馬の品評会で1位になった馬が、放牧中に骨折して薬殺処分になってしまったんです。経済ありきの動物だとは思っていたけれど、僕はこの世界を全然知らなかったので、速く走るためだけに生まれて来たんだな、と痛感しました。同郷の友達に、こういうことがある世界なんだって手紙を書いたりして。そうしたら、そんな世界は辞めて帰って来いって言われたんです。その時、この世界に入るなら、サラブレッドは絶対に強くしなきゃいけない、負ける馬を作っちゃいけないんだと思いました。それでも守れない馬も当然いるけど、守るために努力したいと思ったんです」

 競馬の世界において、勝つ馬がいれば負ける馬もいるのが当然だ。勝つ馬はどんどん上に上り詰めて行き、負ける馬はひっそりと姿を消していく。どんなに守りたいと思っても、守りきれないのが現実なのだ。見ないふりをしがちなこの現実に、角居は真正面から向き合っていた。

「厩務員の時から、勝てなかった馬はどうなっていくのかとずっと思っていました。積まれて行く馬運車によって、これは厳しいところに行くんだろうなって。でも使われてる立場の時に、そんなことを言葉にしたらいけないと思ってました。ようやくリーディングに近くなって、馬のために何かしてあげられる立場になったのかなと。そういうことを改めて形にする、行動に移せる時期に来たんじゃないかと思いました」

ホースセラピー

▲「ようやく馬のために何かしてあげられる立場になったのかなと」


 馬のために何かしたい――その気持ちが核となって動き出そうとした角居は、障がい者乗馬の存在を知る。障がい者乗馬とは、障がい者が乗馬を通じて楽しさを感じたり、機能回復の機会を促進することである。日本ではまだあまり知られていないが、パラリンピックの正式な種目にもなっており、下半身不随の方でも、全盲の方でも、知的に障がいを持っている方でも乗ることが出来るのだ。

「障がい者乗馬の馬たちは、速く走ることを求められていないんです。逆に性格が大人しく、動きが緩慢であればあるほどいいということで、サラブレッドと真逆だなと。それこそ、競馬で活躍出来なかった馬こそ活かされる可能性がある。そういう救い方があるかもしれないと思って、じゃあ自分に何が出来るか考えた時、毎週毎週競馬があって新聞に載るし、大きなレースを使えばインタビューを受ける。この告知力を使って何かイベント的なことが出来ないかと考えたんです」

 障がい者乗馬のイベント実現に向けて、第一歩を踏み出そうとした角居の前に、一人の男が現れた。坂口正大厩舎で長年助手として活躍していた福留健一だ。福留は調教中の落馬事故で下半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされていた。

「イベントをしたいと考えた時と、福留くんが事故から復帰してくるタイミングが一緒だったんです。考えを話してみたら、意見が一致して。事務員として厩舎を手伝ってもらいながら、どうやったらイベントが出来るのか、何もないところから2人で話し合いました」

 こうして実現したのが、サンクスホースデイズである。“馬に感謝する日々”と名付けられたそのイベントは、競馬・乗馬・障がい者乗馬・ホースセラピーなど、日本の馬文化が一堂に会し、たくさんの人たちが馬と触れ合える貴重なイベントとなっている。

 9月23日には、名古屋競馬場で第8回目のサンクスホースデイズが開催された。初めて競馬場に訪れた人たちも多く、障がい者や健常者などという括りもなく、多くの人たちが馬との触れ合いを楽しんだ。回を重ねるごとにその認知度も増していき、イベントは成功しているように見えていた。しかし、角居の中では別の葛藤が生まれたという。

「3、4回目辺りから、このままじゃまずいと思いました。イベントの資金はチャリティーとして馬主さんからいただいていたんですけど、毎回大きなお金が集まるのに、イベントごとに消えて行く…。活動としてはいいのかもしれないけど、果たしてこんなこといつまで出来るんだろうと。馬主さんにも、その度に頭を下げてお金を出してもらって、心苦しかったです。この活動を継続させるためには、イベントだけじゃなくて、お金が回って行くような利潤を生むシステムや、人や馬の研修機関を作って行かないといけないと感じました。そこで、しっかりとした組織としての事務局を作りたいと思っていて、ちょうどそのタイミングで来るべき人が来てくれたんです」

 来るべき人とは、角居が立ち上げた一般財団法人ホースコミュニティの事務局長となった、山本高之である。山本はコンサルティング会社出身で、福祉に対して強い関心を持っていた。その想いが角居と結びつき、馬で出来る福祉という新しい考えが生まれた。

「目指す形はまだだいぶ遠いですけど、ビジョンは持っています。最終的には、馬のいる場所に人が集う、子供であれ、高齢者であれ、障がい者であれ、健常者であれ、みんなで集うことが出来る場所を作りたいんです。障がいを持っている人は長い距離を移動出来ないんですよ。高齢者の方もそうですし、より身近なところに馬がいる風景を作っていかないと。そういう場所がたくさん出来れば、抹消される馬たちの居場所にもなるし、雇用も生み出せる。今は行政とどう連携出来るか、収益構造をどう作れるかという段階です。モデルスタイルが出来上がれば、それを追随する人も出てくると思うので」

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▲名古屋で行われた第8回サンクスホースデイズ、JRA騎手たちも参加

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▲子供たちが引き馬体験


 ホースセラピーという癒しの形が存在するように、馬たちの持つパワーは計り知れない。角居自身もその大きなパワーに引き寄せられ、突き動かされているのかもしれない。

「僕自身、まだ馬のことはわかりきっていないです。自分で知ってる側面しか知らないので。馬にはもっと、僕の知らないパワーや能力があるのかもしれません。関わり方が違えば、僕が引き出せない能力を見せてくれるかもしれない。これまでずっと、相手を負かすことに特化したスピードを考えていたけど、それだけじゃない馬の魅力、温かさ、優しさ、表現力、そういう部分をもっと知りたいんです」

 角居が思い描く世界は、日常に馬のいる風景があること。子供からお年寄りまで、障がい者も健常者も、すべて受け入れてくれる馬たちの優しい瞳が、身近に感じられる日を目指している。(文中敬称略、Part2へつづく)

【取材・文:赤見千尋】

※この企画は3日間連続掲載です。Part1は11/3(月)18時、Part2は11/4(火)18時、Part3は11/5(水)18時にそれぞれ公開されます。
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