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エスケープハッチ、先輩への挨拶も済ませ晴れて仲間入り!【動画有り】

  • 2015年01月06日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲埼玉県の乗馬クラブで暮らすエスケープハッチ


「エスケープハッチの会」設立


 競走馬となるべく生を受けたその瞬間から、馬たちの運命は人間によって左右される。競走馬を引退した後の命を保障されている馬は、ほとんどいないと言っても良いだろう。種牡馬となっても、繁殖牝馬となっても、乗馬となっても、人間に利益をもたらさなくなった馬たちは、いつ命に見切りをつけられるかわからないからだ。

 経済動物だから仕方ない。その大義名分のもと、おびただしい数の馬たちが屠場で一生を終えている。多くの勝ち星を重ねて記録を持つ馬でも、それは同じこと。その事実を知った1人の女性が、1頭の馬の命を繋げるために行動を起こした。

 東京都在住の佐々木幸子さんが、ご主人の譲さんに誘われて競馬場に足を運んだのは2005年の3月だった。その時佐々木さんが目にしたのは、レース中に骨折した馬が、痛めた脚を引きずりながら、3本脚で走ろうとする姿だった。厩務員が駆け寄って来た途端に、傷ついた馬は倒れ、2度と立ち上がることはなかった。いきなり辛い場面に遭遇し「競馬は2度と見たくない行きたくない」と思っていたが「何十年に1度出るかどうかの素晴らしい馬が走るから観に行かないか」と、再びご主人に誘われて、同じ年の5月の日本ダービーの日に競馬場を訪れた。

 目の前をトップで駈け抜けていったのは、あのディープインパクトだった。馬名通りの衝撃を受け、その姿に魅せられた幸子さんは、ディープの追っかけとなり、競走馬の虜になっていった。

 しかし、競馬にのめりこむほどに、引退した馬たちが辿る悲しい運命も知ることになる。「犬や猫のボランティアはしていたのですが、馬の引退後までは考えたことはありませんでした。当然、頑張ってきたのだから、余生は保障されていると思っていましたが、ほとんどの馬がお星さまになってしまうということを知って、ショックを受けました」(幸子さん)

 人々の夢や希望を乗せてひたむきにターフを駈け抜けた馬たちの終の棲家が天国という厳しい現実と向き合い、自分に何かできることはないだろうかと考えるようになった。そんな時に出会ったのが「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会(現在の認定NPO法人引退馬協会)」だった。

 馬の資質に関係なく引退馬を生かしたいという会の趣旨に賛同した幸子さんは、早速会員になった。会の対外支援活動である引退馬ネットのサポートを受け立ち上げた「ブライアンズロマンの会」(会員を募り、集まった会費で馬を預託している)にも入会した。

 ある時、ブラインズロマンの会の代表から、高知競馬のエスケープハッチという馬が地方競馬最多となる54勝もして、そのような馬ですら、その余生の保障はないかもしれないという話を聞かされた。それまでエスケープハッチを全く知らなかった幸子さんだったが「54回も1等賞を取って頑張って走った馬ですら、そういう運命だということを聞いて、涙があふれて止まらなくなっていましまいました」と、その時の心境を語ってくれた。

 しかもエスケープハッチはアングロアラブ種で、アラブのレースが廃止されたためにサラブレッドとのレースを余儀なくされている上、54勝もして存続問題で揺れる地方競馬場の1つである高知競馬にも貢献しているであろうこと、さらにはアラブ種自体が存続の危機にあることなどを知るにつけ、まだ見ぬその馬に思いが募っていった。

「ブライアンズロマンの会の代表の三河和枝さんに、エスケープハッチの会を立ち上げてほしいと頼まれたのですが、その時私は65歳でしたし、そのような器ではないので、とてもできないと思ったのですけど、三河さんが何度もおっしゃるので、引退馬協会の沼田代表に相談しましたら、やってみましょう、頑張ってくださいというお言葉を頂いて決心を致しました」(幸子さん)

 幸子さんが発起人となって「エスケープハッチの会」が設立されたのは、2008年12月のことだった。

第二のストーリー

▲エスケープハッチと、会の代表の佐々木幸子さん


どこの土地でも愛されたハッチ


 余生を過ごすにふさわしい場所探しに、幸子さんと引退馬協会は奔走し、北海道の荒木牧場がハッチの棲家と決まった。強い絆で結ばれていた高知の田中譲二調教師から離れ、ハッチは北海道へと旅立った。

「ハッチは男の人が好きなのよね」と幸子さんは教えてくれたが、荒木牧場の荒木貴宏さんとの間にも、強い絆を築いていた。北の大地の澄んだ空気の中、放牧地でのんびりと過ごす日々が続いた。けれども、幸子さんがハッチに会うために北海道を訪れるのはせいぜい年2回。もう少しハッチのもとに通いたい、そして自らも情報発信がしたいという気持ちが高まり、昨年5月29日に新しくできた岡山県の吉備ひだまり牧場に移動した。

 北海道を出発の日、荒木さんとハッチがふれあう姿を見て、幸子さんは涙があふれた。ここにハッチはいた方が良いのではないかと、後悔にも似た気持ちが襲ってきた。けれども、もう後には引けない。ハッチは約5年間暮らした荒木牧場を後にして、岡山県へと居を移したのだった。

 しかし幸子さんは、再びジレンマに陥ってしまう。北海道よりも岡山の方が通いやすいと考えていたが、いざハッチが岡山に来てみると、そう簡単ではないことを実感するのだった。

 エスケープハッチの会を立ち上げた時にはまだ60代だった幸子さんは、70歳になっていた。自分の年齢のことも考えると、もう少しハッチが近くにいてくれた方が頻繁に会えるし、何かあった時にもすぐに駆けつけられる。そしてハッチを支えてくれている会員さんにも自ら写真を撮って、情報の発信をこまめに行いたいという欲求が日に日に強くなっていった。その一方で、自分のわがままで移動させられるハッチに対しても、申し訳ない気持ちにもなっていた。その複雑な心情を胸に、幸子さんは今度こそ終の棲家となる場所をと、探し歩いた。

 ある日「エスケープハッチの会」の会員の大野茂美さんに埼玉県日高市にあるつばさ乗馬苑を紹介された。そこには大野さんの愛馬・スカイブルーが暮らしていた(スカイブルーの記事はこちら)。見学に訪れた際、牧場と違って放牧時間が短いことを幸子さんは心配した。しかし「ここの馬は、隣の馬同士、ブヒブヒ話をしているぞ」というご主人の一言が背中を押した。だが、つばさ乗馬苑代表の土谷麻紀さんには、ハッチの預託を何度か断られた。「本当に行く場所のなくなった馬たちを助けたい」というのがその理由だった。

 その馬たちのために馬房を開けておきたいという思いが、土谷さんにはあったのだと思う。その言葉を聞いた幸子さんは、土谷さんの馬に対する愛情が本物であることを感じ取り、ハッチを託せるのはここしかないという気持ちになっていったのだろう。何度かやり取りを重ね、ついに「つばさ乗馬苑」がハッチの棲家と決まったのだった。

 お世話になった吉備ひだまり牧場の人々に見送られ、ハッチがつばさ乗馬苑にやって来たのは、昨年12月15日の夕方だった。土谷さんに曳かれて馬運車から降りてきたハッチは、大人しく馬房に収まった。その様子からは、長旅の疲れもさほど感じなかったようだ。翌日には、つばさの仲間たちにハッチは挨拶回りをした。

「ウチでは新しく入る馬は他の馬たちに紹介しますし、ウチから別の場所に移る時も他の馬たちにちゃんとお世話になりましたという挨拶をしてもらいます。ハッチもまず、大きい厩舎の通路に連れていって、よろしくと頭を下げさせて(笑)、他の厩舎にも回って同じようによろしくと全頭に頭を下げたら、フンフンとみんなが頷いていました(笑)。そして挨拶が終わってから、馬場に放牧しました」(土谷さん)

第二のストーリー

▲運動をするハッチと、つばさ乗馬苑代表の土谷麻紀さん


働いていない馬の方が多い乗馬クラブ!?


 つばさ乗馬苑を訪ねたのは暮れも押し迫った12月28日。ハッチがつばさにやって来て半月も経っていない頃だった。事務所に1番近い馬房の1番奥に、額に白い星のある明るい栗毛の馬がいた。目を凝らしてこちらを見つめる表情が愛らしい。右の馬房から顔を出す木曽馬の雅(みやび)と、左の馬房から顔を出すアングロアラブのロキシーの間を通り抜けた先に、栗毛のハッチが待っていた。

 ハッチに「はじめまして」の挨拶をすると、顔を斜めに傾けながら、歯を見せてひょうきんな顔をした。わずかな期間に、すっかりつばさでの生活に馴染んでいるように感じられた。

第二のストーリー

 会員さんのレッスンが終わって人馬が引き揚げてくると、ハッチが馬場に出てきた。運動不足にならないように、そして将来人を乗せるための下準備として調馬索運動をする。これまでは、それぞれの場所で放牧生活を楽しんできたハッチだが、つばさ乗馬苑ではほんの少しだけ乗馬としても活動する予定があるという。

 それを発表した時に、繋養先が乗馬クラブということもあって、バリバリ乗られてしまうのではないかという心配の声も上がったが、あくまで訪ねてくれた会員さんやファンの方が、ハッチと触れ合い、コミュニケーションしてもらう手段の1つとしての乗馬であって、それ以外はのんびりと過ごす日々には変わりない。

 土谷さんは乗馬にしても飼養管理にしても、馬にいかに負担をかけずに行うかを常に考え続けている人だ。たまたま乗馬クラブという形を取ってはいるが、馬が安心して暮らせる場所として、つばさ乗馬苑を続けていると言っても過言ではない。実は私と土谷さんは、10年来の知り合いで、つばさ乗馬苑にも幾度となく訪れているが、ここの馬たちは働いていない馬の方が多いのではないかと、半ば呆れ、半ば感心するくらい、酷使されていない。

 レッスンもマンツーマンだし、朝から夕までビッシリとレッスンが入っているわけではない。雨が降ったり、風が強かったりと、馬にストレスがかかりそうな日には、たとえ予約が入っていても、土谷さんの方からキャンセルの連絡をするほどだ。乗馬としての調教をしたからと言って、ハッチの上に週に何度も人が乗るということは、まずあり得ないだろう。

 調馬索運動が終わって馬場に放たれたハッチのもとに、幸子さんが人参を持って近づいて行く。幸子さんに気づいたハッチは、その後をついて回る。幸子さんのペースに合わせて歩くハッチの姿が、とても微笑ましい。


 つばさ乗馬苑には、大小合わせて27頭の馬がおり、土谷さんが馬たちの相性を見て、放牧時のグループ分けをしている。どのグループと一緒にハッチを放牧をするのかは見極め中とのことで、取材した時にはまだ1頭での放牧だったが、そのうち仲間たちと戯れる姿が見られるようになるかもしれない。

「ある人に言われたんですよ。あなたは(エスケープハッチの会の)代表だけれど、みんなあなたに付いてきてくれるのではなくて、ハッチの力なのよって。それをいつも心に留めてやっていこうと思っているんです。でも私だけこんなにハッチと会えて、他の会員さんやファンの方に申し訳ないんですよね」(幸子さん)

 だがその分、ハッチの性格や魅力を知るチャンスに恵まれているわけだし、なかなか会いに来られない会員さんやファンの方のためにも、ハッチの魅力をたくさん情報発信ができるはずだ。幸子さんもそう思い定めているようで、週に何度もつばさに通っては写真や動画を撮影し、ご主人の力を借りながらブログを更新する日々が続いている。

 一方、年が明けて15歳になったハッチは、たくさんの馬たちとコミュニケーションをはかり、訪れる人と戯れながら、新天地での暮らしを今日もじっくり味わっていることだろう。(次回へつづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)

※エスケープハッチは見学可です。なるべく事前連絡をしてご訪問ください。

つばさ乗馬苑
埼玉県日高市大谷沢681-1
電話 042-984-3410
つばさ乗馬苑HP
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tsubasa-rc/tsubasa_cheng_ma_yuan/Welcome.html

エスケープハッチの会HP
http://www.intaiba.net/escapehatch/

エスケープハッチの会ブログ
http://blog.goo.ne.jp/escapehatch

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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