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皐月賞で騎乗した的場均元騎手 サクラスーパーオーへの思いを語る/動画

  • 2015年10月06日(火) 18時01分
(前回のつづき)

「三つ子の魂百まで」


 未完のまま競走生活を終えたサクラスーパーオーは、乗馬として第二の馬生を送ってきた。JRAの馬事公苑から大学の馬術部を経て、現在過ごす新潟県三条市の三条乗馬クラブへと移動した。乗馬クラブでの名前はタカオハピネス。ここではハピネス、あるいはハピと呼ばれ、皆に可愛がられている。乗馬以外にも、ポニーとともにお祭りやイベントに参加し、乗馬クラブにとってはなくてはならない存在となっている。

「お祭りでは白いポニーが神馬として先頭を切り、その後ろにずっと行列が続いて、最後の方に馬に乗った宮司さんがいるんです。その宮司さんが乗る馬がハピネスですね」と三条乗馬クラブ代表の増田完市さん。真っ白の馬体のハピネスは、お祭りやイベントに大人気。2013年の新潟県西川町の「越後にしかわ時代激まつり」では代官に扮した歌手の北山たけしが騎乗。昨年は南魚沼市の兼続公まつりでは、甲冑を纏ったタレントのDAIGOがハピネスに跨っている。

第二のストーリー

▲DAIGOも跨ったサクラスーパーオー、カメラ目線で舌をペロリ


「白くて大きくてかっこいいですし、皐月賞で2着に来た馬ですよと乗った方に伝えると喜ん下さいますね」と話すのは、クラブスタッフの前田和代さんだ。

 現役時代からの熱烈なファンも訪ねてくるという。「写真や記事がギッシリ挟んである分厚いファイルを持って、確かお盆前に訪ねて来られました。皐月賞でナリタブライアンから離されて2着になった時の写真もありましたし、地元のお祭りに出た時の新聞記事もありました。それはもうビッシリとファイルされていましたよ」。競馬をあまり知らないという増田さんは、その熱心さに驚かされたそうだ。

 ハピネスは馬術競技馬としても優秀だった。「120cmくらいの障害は飛んでいました。120cmというのは、高校生なら国体に出られるレベルです。ガンガン行くタイプの馬ですね」(増田さん)

 すこぶる健康でもある。「体は頑丈で、全く故障がないです。競走馬時代は屈腱炎だったと聞きましたが、腫れても膨らんでもいないですし、傷痕もなく普通ですよ。たくさん運動しても腫れることもないですし、歩様に出ることもありません」(増田さん)

 日本ダービー出走への夢を打ち砕いた屈腱炎だったが、すっかり傷は癒え、乗馬として全く問題なく過ごすことができている。しかし、若い頃と変わらぬ癖も残っていた。

「寝起きする時にしょっちゅう傷を作るんですよね。でもその傷が全く腫れないんですよ。細菌にも強いんでしょうね」。増田さんの話と美浦トレセンでも寝そこないをよくしていたという当時の担当厩務員の小城さんの話がここで重なった。

「現役時代の厩務員さんのお話の通り、今も寝相が悪いです」と、前回の記事を読んだ三条乗馬クラブの会員さんからもメールが届いた。「三つ子の魂百まで」という諺があるが、年を重ねても変わらない癖もあるのだなと妙に納得してしまった。

馬券を買って応援していた馬が乗馬パートナーに


 ハピネス以外にも、ここには元競走馬が何頭かいる。ハピネスと同じ白い馬体を持つのが、エーブマックイーン(セン19)だ。

 父はメジロマックイーン。中央競馬では未勝利に終わったが、地方に移籍後、新潟、高崎、新潟、大井と走り14連勝を記録して、通算成績は52戦19勝で引退している。三条乗馬クラブの一員になってまだ半年も経っていないが、頭がとても良くて「人を見るんです。下手くそって(笑)。でも乗れば、はいはいという感じで動いてくれますね」と前田さんは笑う。

第二のストーリー

▲エーブマックイーン、芦毛は父のメジロマックイーン譲り


「会員さんが乗る前に僕らがまず下乗りをすると、ものすごく安定して駈歩をしてくれます。年配の方が安心して駈歩ができる馬というのは、そうはいないんですよ。ハピネスは走りがごつくてダイナミックですけど、エーブはソフトです」と増田さんは、エーブとハピネスの違いを説明してくれた。走り方一つとっても、1頭1頭に個性がある。

 額にくっきりとした白い星があるのが、カムイビスティー(セン)。父がディープンパクトで、6歳とまだ若い。中央競馬では勝ち星を挙げられず、地方競馬で2勝した。こちらは駈歩は快適だが、6歳とエネルギーが有り余っている年齢だけに、会員さんが乗れるようになるのはまだ先とのことだ。

第二のストーリー

▲カムイビスティー、お父さんはディープインパクト


 ムッシュシェクルを父に持つトウジンファヴォリ(牡17)は、中央で勝てずに地方に移籍してから8勝している。「この馬はとても大人しくて、去勢されずに牡のままなんです」と前田さんが教えてくれた。

 増田さんも「ウチには大中小と5頭のポニーがいるんですけど、全部牝馬なんですよ。去勢していないからまずいかなと思いましたけど、全く問題なかったですね」と、ファヴォリの穏やかな気性に太鼓判を押す。取材日前日の夜に行われた柏崎市西山町の草生水(くそうず)まつりにハピネスらとともに初参加したが、物怖じせずに無事役目を果たしたそうだ。

 増田さんや前田さんに三条乗馬クラブの馬たちの話を聞いたのちに、洗い場に目を転じると、ハピネスをはじめ数頭が騎乗後のお手入れ中だった。「夏はさすがに少し元気がないこともありましたが、今年は夏でも特に元気が良いですね。昨日お祭りに参加しましたが、何の問題もありませんでした」と話をしてくれたのは、クラブスタッフの寺尾成之さん。話を聞いた誰の口からもその健勝振りが語られるということは、ハピネスが本当に健やかにハツラツと毎日を過ごしている証拠だろう。

 一方、ひと汗かいてお手入れ中のハピネスは、洗い場では全体的にのんびりした雰囲気を醸し出していた。時折下唇も緩み、半分、夢の中にいるのかなと思わせる表情でリラックスしている。水で体を洗われると、さらに気持ち良さそうな表情になった。競走馬時代には、何度も立ち上がってひと暴れしないと洗い場に入らなかったハピネスだが、そんな過去あったのかと思うほど、洗い場の出入りも穏やかだ。

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▲サクラスーパーオーのお手入れ終了!


第二のストーリー

▲2人にマッサージしてもらって至福の時間



 やがてお手入れが終わり、会員の信田亮太さんがハピネスの腰のあたりを刺激し始めた。至福のマッサージタイムだ。競馬ファンでもある信田さんは、皐月賞でサクラスーパーオーの馬券を購入していた。「ここにいると知らなかったんです。乗せてもらったハピがあのサクラスーパーオーだと知ってビックリしました」(信田さん)

 それ以来、信田さんはハピネスにしか乗ったことがないという。馬券を買って応援していたあのサクラスーパーオーが、信田さんの大切な乗馬パートナーとなっている。これも馬と人を繋ぐ縁と言っても良いかもしれない。

 競走馬として頂点を極めたナリタブライアンは、種牡馬となった翌年の1998年9月に8歳(旧馬齢表記・現7歳)で早逝してしまった。

 競走馬としては未完に終わったサクラスーパーオーは、乗馬となって人々に愛され、24歳になった今も大事にされて今も生きている。馬としてどちらが幸せかは私には判断できないが、同じレースで勝敗を分けた2頭の対照的な馬生に、馬の運命の不思議を感じるのだった。

 皐月賞で手綱を取っていた的場均調教師に、サクラスーパーオーがタカオハピネスという名前で健在であると調教の合間に伝えたのは、取材から1か月経過した9月末だった。

「もう何年になるのかなあ」とつぶやくと、的場師の表情が和らいだ。

「皐月賞の時は、うまくいったと思ったんだけどね。でも直線では逆にブライアンに離されちゃったから…。とてもバネのある馬でしたよ。脚元がね…。もったいなかったよね。でも元気でいるなら良かったよ。可愛がってもらえて本当に良かった」。師は笑顔を残して管理馬の元へ向かった。

 かつての担当厩務員の小城さんは「時間を作って会いにいきたいですね。あの馬には本当にいろいろなことを教わりましたから」と、再会を夢見ていた。そしてハピネスことサクラスーパーオーは、相変わらず寝そこないをしながらも、三条競馬場の面影を僅かに残す乗馬クラブで、人々の愛情に包まれて、仲間たちと一緒に今日も元気に過ごしている。(了)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※三条乗馬クラブ
新潟県三条市上須頃(三条競馬場跡地)
電話 0256-33-1117

以前侵入者により、サクラスーパーオーの尻尾が切られてしまったことがあるそうです。訪ねる際には事前に連絡をして、予約をして頂ければと思います。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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