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『生涯をかけて守っていきます』難病と戦う馬と女性オーナーとの絆

  • 2016年01月12日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲モーターニューロン病という難病と戦っているアーロン(写真:花島早苗さん)


9歳の時に“モーターニューロン病”との診断


 アーロン(セン21)という名の誇り高き鹿毛のサラブレッドが、茨城県猿島郡境町に暮らしている。

 千葉県在住の花島早苗さんが、通っている乗馬クラブでその馬と初めて会ったのは今から約11年前だった。

 当時アーロンは、運動ニューロンという神経が変性するモーターニューロン病という難病と診断されたばかりだった。まだ9歳と若く、発病前は馬場馬術競技の馬としても活躍をしていたという。

 アーロンは、1995年3月1日に門別町(現・日高町)のヤナガワ牧場で生を受けた。父シェイディハイツ、母ヒガシソロン、母の父がアスワンという血統で、生まれ故郷のヤナガワ牧場といえば、ダートのGIホースとなったサンライズバッカスやコパノリッキー、北島三郎がさん所有し、昨年の菊花賞を制したキタサンブラックを送り出した牧場としても有名だ。

 競走馬名はゴンゲンプリンス。南関東で走り、10戦して4勝の成績を挙げている。旧馬齢表記の4歳で競走生活を退いたゴンゲンプリンスは、乗馬となってアーロンという馬名に変わった。

 根っからの動物好きの花島さんは、この子はこれからどうなってしまうのだろうと心配になるような、弱い立場の生き物たちにどうしても目が行ってしまうのだと話す。実はアーロンの前には、鼻に癌ができてしまった馬を引き取ろうとしていたが、その希望はついに叶わなかった。そんな花島さんの目の前に、今度は難病に侵されたアーロンが現れたのだ。

 その姿に花島さんは心を動かされ、アーロンは彼女の愛馬となった。乗馬を引退したアーロンは、某牧場へと移動した。他の馬たちと一緒に放牧地を歩いて草を食みながら、毎日を過ごした。花島さんの住む千葉からその牧場は決して近くはなかったが、月に2回、電車に乗って通った。

第二のストーリー

▲以前に暮らしていた牧場にて。他の馬たちと一緒に放牧地で過ごしていた(写真:花島早苗さん)


「お友達と一緒に持っていた馬もその牧場にいたのですけど、アーロンより先にその馬のところに行くと、アーロンは怒っているんですよ。匂いでわかるんでしょうかねえ(笑)。自分が1番じゃないと駄目みたいです」(花島さん)

 アーロンの病も落ち着いており、気がつけばその地で9年という月日が流れていた。

 しかし諸事情により、新天地を探すこととなった。信頼できる人の紹介もあり、現在の預託先のシャンティステーブルに落ち着いた。同ステーブルは、前述した通り茨城県猿島郡境町にある。千葉県野田市と隣接しており、その名の通り県境の町でもある。

 移動してきてからもアーロンの健康状態は悪くなく、シャンティステーブル代表の本田一彦さんも、運動を兼ねて騎乗するようになっていた。写真でもわかる通り、アーロンはスラッとして体の線が美しく、屈頭する姿も馬場馬術競技に出ていた頃を彷彿とさせる。

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▲シャンティステーブル代表の本田さんを背に。スラッとして体の線が美しいアーロン(写真:花島早苗さん)


 日々アーロンに跨っていた本田さんは、花島さんに乗ってもらっても大丈夫という手応えを感じるまでになった。

「次に花島さんが来る時にアーロンに乗ってみましょうかと本田さんに言って頂いて、楽しみにしていたんです。ところがそれから間もなくして、アーロンが狂ったように走り回っているという連絡を受けました」(花島さん)

良くならない症状、それでも治療法を探し続けて


 本田さんによると、ある夜、馬房の中でグルグル旋回をし出したのが始まりだった。

「回るスピードが速くなってきましたし、馬場に放しました。アーロンを馬場に放す時に、僕も吹っ飛ばされましたよ。それで走り回っているうちに、アーロンがひっくり返ったんです。獣医も安楽死にした方が良いという診断で、花島さんにも連絡をしたのですが、しばらくしたら、突然ムクムクッと起き上がって何事もなかったかのように立ち上がりました」(本田さん)

 翌朝、花島さんも駆け付けた。もう駄目かもしれないと諦めていたアーロンは、まだ生きていた。突然グルグル回り出したのも、狂ったように走り回ったのも、原因ははっきりとはわからない。モーターニューロン病が関係しているのかもしれないが、それも証明されていない。

「僕が乗らなければそうならなかったのかもしれないし、乗らなくてもなったのかもしれない。それはわからないです」と本田さん。それまでの状態に戻ったかに見えたが、今度は徐々に背骨が湾曲し始め、症状が悪化してきた。馬房のあちこちに体をぶつけてしまうので、厩舎の外にアーロン専用の居場所を作った。

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▲ネットで覆われているのがアーロンが現在暮らすスペース


 以前いた牧場でもそうだったが、アーロンは他の馬といるより1頭で過ごすことを好み、仲間が暮らす厩舎から離れた場所で過ごしても、全く寂しがらない。それも救いだった。

「人に触られるのも嫌みたいですよ。気に入らないと、すぐ蹴ろうとしたりしますしね」と花島さん。病気のせいもあってやせ細っているアーロンだが、食欲もしっかりあり、馬糞の状態も良く、疝痛も起こさない。何よりアーロンの瞳にはまだ力が宿っており、生きる気が満ちているように見える。

 このような状態で、生かされている馬は少ないだろう。しかし、馬に生きる気力があるうちは何とかしてやりたい。花島さんも本田さんも思いは一つだ。

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▲砂浴びをしてドロドロになって、起き上がろうとしているアーロン(写真:花島早苗さん)


「これまで何人もの獣医に診てもらいましたし、筋肉の組織の検査もしてもらって筋肉に異常があるという結果も出ています。ショックウェーブ治療も施しましたし、針も打ってもらいました。脳に虫がいると診断した獣医もいました」(本田さん)

 どれだけの人に診てもらっても、あらゆる治療を施しても、アーロンの症状はなかなか良くならなかった。「まだ何か手立てがあるのではないか」と、本田さんは今も諦めてはいない。こうして取材を受けるのも、情報を発信して新たな治療法がもたらされないかという気持ちがあるからだ。

 現在は、低周波治療器で背骨に刺激を与え、3か月に1度、馬のマッサージセラピスト・佐山由紀子さんの施術を受けている。

「アロマを使って施術してもらっていると、本当に気持ちよさそうにしていますから」(花島さん)。アーロンにとっては、このマッサージが癒しのひとときのようだ。

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▲マッサージ中のアーロン。馬の前にいる方がオーナーの花島さん、マッサージをするのが佐山由紀子さん


「生涯をかけて守っていきます」


 アーロンは、年が明けて21歳になった。

「最近は寝ている時間が少し長くなったような気がします。立っているだけで、相当なエネルギーを使っているはずです」(本田さん)

 激しい運動をする競走馬は、濃厚飼料が与えられている。競走馬よりも運動量が少ない乗馬用の馬には濃厚な餌は必要としないが、起立しているだけで他の馬以上にエネルギーを使っているアーロンには、本田さんはあえて濃厚飼料を与えてきた。それでも痩せているところを見ると、やはり消耗が激しいのだろう。

 何とか回復してほしいと幾度となく診察や治療を重ねてきたが「アーロンはもう止めてほしいと言っているのではないか」と自問自答した時期が花島さんにもあった。けれどもそのたびに、生きようとする気迫がアーロンから伝わってきて、一緒に頑張ろうとここまで進んできたのだった。突然、馬房をグルグル回って馬場を走り回って倒れた夜から、3年半という月日は、花島さんとアーロン、そして本田さんにとっても、気の抜けない日々だった。だがその体験をともに乗り越えてきた馬と人との間には、強い絆が出来上がったのではないかと思う。

 気の強いアーロンは、何か気にそぐわないことがあると花島さんにも反抗する。だがひとたび花島さんがそばを離れると、その姿をずっと目で追っている。取材時、そんなアーロンを目の当たりにし、人馬の絆の深さが伝わってきて、胸が熱くなった。

「動物の中で馬ほど人間の役に立っている動物はいないと思うのに、その待遇は悲惨なことが多過ぎます」と花島さんは言う。

 馬たちは命がけでレースで走り、人間のために賞金を稼いでくるのに、引退後に種牡馬、繁殖牝馬になれるのは一握りだし、乗馬となっても、人を乗せることに適性がないと判断されれば、その先の保障はない。運良く乗馬になっても、ケガをしたり、乗馬として役に立たないと判断されれば、そこでまた馬たちは運命の岐路に立たされ、たくさんの命の灯が消えていく。

 花島さんはさらに続けた。

「どの馬たちも、一生懸命で可愛く一生懸命で愛おしい存在です。でも数頭しか救うことができません。だから縁あって私の子供になってくれた馬たちだけでも、生涯をかけて守っていきます」

 この言葉を聞いて、私は恥ずかしくなった。これまで馬好きを自称してきたが、花島さんのようには行動できないし、勇気がない。一歩が踏み出せない。本当に馬を愛するというのは、自ら発言し、行動を起こすことなのだ。引退馬の余生を伝える記事を書いていることで、すっかり満足してしまっていたのではないかと、今回の取材で気持ちが引き締まった。

第二のストーリー

▲花島さんと知人とで一緒に持っているトゥインクル(種類はアパルーサ)。同じくシャンティステーブルで暮らしている


 自分で寝起きはできるが、体には床ずれができやすく、後ろ脚には最近蹄葉炎の症状も出ているという。けれどもアーロンは強気な表情をしていた。花島さんは「アーロンから元気をもらっている」と話すが、花島さんの愛情や本田さんの細かい心配りが、アーロンの生きる糧になっているのではないか。アーロンと花島さんの写真を眺めながらそう感じた。

 冬空の下、花島さんの温かい愛情に包まれながら、アーロンは今日も前向きに生きていることだろう。

(取材・文:佐々木祥恵、写真:花島早苗さん、佐々木祥恵)


有限会社SHANTI STABLE(シャンティステーブル)
〒306-0415
茨城県猿島郡境町大字大歩365番地の1
電話 0280-87-3525
※預託馬専門の乗馬クラブで、預託馬も募集しています。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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