スマートフォン版へ

平成の3強“野武士”イナリワン 32年の生涯

  • 2016年02月23日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲オグリキャップ、スーパークリークとともに「平成の3強」と呼ばれたイナリワン(提供:あるぷすペンション)


怪物オグリキャップと名勝負


 2月7日夕方、1頭の牡馬がその生涯を閉じた。イナリワン、32歳。オグリキャップ、スーパークリークとともに「平成の3強」と呼ばれるなど 一時代を築いた名馬だった。

 名馬イナリワンが最後に過ごした場所は、スキーリゾート地としても人気の高い北海道勇払郡占冠村トマムにある、あるぷすペンションだ。スタッフの本田光司さんによると、ここは冬場の最低気温はマイナス28度くらいにまでなることがあるという極寒の地。その寒さの中でも、命の灯が消える間際まで、イナリワンは元気に健康に過ごしていたのだった。

 イナリワンは1984年5月7日、父はミルジョージ、母がテイトヤシマの間に、北海道門別町(現日高町)の山本実儀さんの牧場で誕生した。大井競馬場の福永二三雄元調教師によって見出された同馬は、保手浜弘規氏の所有馬として1986年12月9日に大井競馬場でデビューした。デビューから東京王冠賞を含めて8連勝や東京大賞典での優勝など、地方時代は14戦9勝の成績を残して中央へと移籍。美浦の鈴木清厩舎(現在は解散)の管理馬となった。

 移籍後2戦は4着、5着と破れるも、3戦目の春の天皇賞では武豊騎手が手綱を取って、2着のミスターシクレノンに5馬身差をつける圧勝劇を演じ、続く宝塚記念にも優勝してビッグレースを立て続けに制した。夏場の休養を経て秋初戦となった毎日王冠では現調教師の柴田政人元騎手が鞍上に替わり、芦毛の怪物オグリキャップと対決。直線の競り合いでオグリキャップにハナの差屈したものの、このレースは名勝負の1つとも言われている。

 だが秋の天皇賞は武豊騎乗のスーパークリークの6着、ジャパンCでは勝ったホーリックスをマイルCS勝利から連闘で臨んだオグリキャップが追い詰めるという歴史的なゴールシーンの前に11着と沈んだ。

 しかし、イナリワンはここで終わらなかった。4番人気とファンからの支持はオグリキャップやスーパークリークから遅れは取ったが、スーパークリークをゴール前でとらえて優勝。宝塚記念と合わせて春秋グランプリ制覇を成し遂げたイナリワンは、年度代表馬に選出された。

 翌年、阪神大賞典、春の天皇賞、宝塚記念と3戦するが、5、2、4着と勝利には手は届かずに春シーズンを終え、秋の復活を期して調整されたが脚部不安のため引退が決まった。引退式は、前年に自身も制した有馬記念当日の12月23日、中山競馬場で行われた。

いつのまにか放牧地のボス的存在に


 競走馬生活にピリオドを打ったイナリワンは、生まれ故郷の門別町にある日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬入りする。中央競馬ではシグナスヒーローがAJCCや日経賞(ともに2着)など重賞路線で活躍し、地方競馬ではツキフクオーが父が勝利した東京王冠賞を制して親子制覇を成し遂げ、イナリコンコルドが大井記念や東京記念に優勝するなど、少なくはあるが活躍馬も輩出している。

 種牡馬になって5年ほどは50頭前後に種付けをしていたが、徐々に頭数は減り、2002年には三石町のスタリオン中村畜産に移動して種牡馬生活を続けていたが、2004年には種牡馬を引退している。

 功労馬として余生を送っていた2007年には、およそ19年振りとなる大井競馬場への里帰りイベントも行われた。当初イベントは8月に予定されていたが、馬インフルエンザ流行の余波を受けて競馬開催が中止となり、改めて12月28日に実施されている。その後のイナリワンは幾度か繋養場所が変わり、30歳に手が届こうかという頃に、終の棲家となる占冠村のあるぷすペンションに落ち着いた。

第二のストーリー

▲自然豊かな北海道のトマムで新生活がスタート(提供:あるぷすペンション)


「ここに来たのは3年半くらい前でしょうかね。当初は少し痩せているかなと思いましたけど、こちらで過ごすうちに太ってきましたし、外に放しているうちに落ち着きも出てきましたよ」と本田さんは出会った当時を振り返る。

「牡馬のままだったのではじめは1頭で放牧していたのですけど、若い馬と一緒にしてみても大丈夫かなと思って、ヒカリという馬と一緒に放してみたんです。喧嘩するかな、若い馬をやっつけちゃうかなと心配もしましたけど、友達できた! と喜んじゃって(笑)。まるで若い馬2頭で喜んで走り回るみたいな感じでした(笑)。こりゃいいやと思って、しばらくは2頭で放牧していて、そこからまた別の若い2歳や1歳の馬も同じ放牧地に入れてみたんですよ。するとイナリワンは、好きな馬がコロコロ変わるんです。最初に仲良かったヒカリを嫌いになって、次に来たニッショウという馬をすごく好きになって、その次には1歳の若いハンスを好きになりました(笑)」

 移り気というべきか、新しもの好きというべきか、浮気性というべきなのか…。名馬の意外な素顔を知って、命あるうちにその放牧地模様を是非見てみたかったと残念に思った。

「でも時間が経つにつれ、誰をいじめるわけでもなく、皆と仲良くしていましたよ。ヒカリはサラブレッドの血が入っているせいか、遊び方がサラブレッドそっくりで、ダーッと走っていって、ワーッと他の馬にちょっかい出すんです。他の馬はアパルーサとかクォーターホースの血が入っていて割と大人しかったので、うるさいヒカリを嫌がってるんですけど、それをイナリワンが助けるみたいなね。イナリワンがいれば、他の馬のところにヒカリは行けないんですよ。でもひとたびイナリワンがいなくなると、ヒカリは他の馬のところにワーッと行って遊ぶぞーってなっちゃうんです。その時は皆いやいや遊んでるという感じでしたけどね」

 最初は移り気でお気に入りの馬を次々に替えていたイナリワンだが、そこは年の功、いつのまにか放牧地内をちゃんとまとめるボス的存在となっていた。

第二のストーリー

▲まるで若馬のようだったイナリワンだが、いつのまにかボス的存在に(提供:あるぷすペンション)


1月末に異変が現れ…


 イナリワンの日課は9時に放牧に出て、お昼前には馬房に戻る。「時間になると、中に入れてくれーとアピールします」と本田さん。さすがに高齢となると、夕方までの放牧は疲れるらしかった。

 それでも食欲もあり、放牧地ではシャンシャンと歩いた。その様子は、エスケープハッチの会の公式ブログ内の動画でも確認できる。

 http://blog.goo.ne.jp/escapehatch/e/a94bde27f2fa0464c3c4c5097f73e147(エスケープハッチの会ブログ 2015年11月2日付け)

 31歳(動画撮影時)とは思えないほど元気だったその体に異変が現れたのは、1月末のことだった。

「最初は歩いていて腰のあたりがフラフラッとすることがあるなという感じで。あとはパッと立ち上がれずによっこいしょと起き上がったりして、弱ってきたのかなという症状でした」(本田さん)

 やがて起立不能になったイナリワンは、2月7日の午後4時25分、スーパークリークとオグリキャップが待つ天国へと静かに旅立って行った。

「1頭いなくなっただけなんだけど、餌をやって馬小屋を掃除していると、随分仕事が少なくなったような気がしますよね」

 電話口で終始明るく取材に応じてくれた本田さんが、寂しそうにつぶやいた。イナリワンと過ごした年数は決して長くはなかったが、本田さんにとってはその存在は、相当大きなものだったのだろう。そして年下の仲間たちと過ごしたあるぷすペンションでの最晩年は、イナリワンにとって穏やかで心地良い時間だったに違いない。


※あるぷすペンション
〒079-2205
北海道勇払郡占冠村字上トマム
電話 0167-57-2044
乗馬が楽しめるペンション。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング