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ニューマーケットに新たな坂路コースが造成

  • 2016年08月31日(水) 12時00分


競馬場側に新たな走路を作る計画の背景にあった2つの理由

 英国競馬のヘッドクオーター(=総本部)と呼ばれ、2700頭ほどの現役馬が調教拠点としているニューマーケットに、新たな坂路コースが造成されることになった。ニューマーケットの調教場を管理運営するザ・ジョッキークラブ・エステイツが、24日に明らかにしたものだ。

 計画によると、新たに造成されるのはオールウェザー素材を路面とした長さ4.5ハロン、幅4.5メートルの直線走路で、スタート地点とゴール地点で30mの高低差がある坂路となる。建設されるのは、ニューマーケットの競馬場側に広がる一帯で、総工費は1000万ポンド(約13億4千万円)と見積もられている。いつ完成するのか、ジョッキークラブは明確な日程を公表していないが、遅くても2020年までには新たな走路を稼働させたい意向だ。

 ニューマーケットの競馬場側に新たな走路を作る計画が持ち上がったのは、2011年のことだった。

 背景にあったのは2つの理由で、1つはニューマーケットの過密化だった。1970年代前半には、ニューマーケットを拠点とした調教師の数は35名前後、現役馬の総数は750頭程度だったのが、現在では81名の調教師が2700頭もの現役馬を調教するようになり、施設の拡充が急務となっていた。

 そしてもう1つの理由が、ニューマーケットの街から見て競馬場側にあたる「レースコース・サイド」と、街から見て競馬場とは反対側に広がる「バリー・サイド」の間に、格差が生じていたことだった。

 ニューマーケットと言えば誰もが思い出すのが、広大なヒースを馬たちが駆け上がっていく光景だが、天然の起伏を活かした坂路調教が行われているのは、高低差40メートルのウォーレンヒルや、ロングヒルといった調教コースが広がる「バリー・サイド」で、「レースコース・サイド」では比較的フラットな路面で調教が行われている。だが、ニューマーケットで厩舎を構えている以上、ヒースで馬を鍛えたいと考えるのが当たり前で、レースコース・サイドに建つ厩舎に入っている馬たちも、片道15分から20分かけてバリー・サイドに移動して、ヒースで調教を行うことが日常茶飯事となっている。これが、アスファルトを叩く蹄の音とともに、街中を馬たちが歩いていくという、ニューマーケットならではの光景を生み出しているのだが、一方で、調教に従事するスタッフたちにとっては、それだけ労働時間が長くなることを意味しており、関係者はおおいに不便を感じていた。

 実際に、バリー・サイドにある厩舎の馬房は現在、その89%が稼働しているのに対し、レースコース・サイドにある厩舎の稼働率は59%にとどまり、つまりは、レースコース・サイドにある厩舎には空き馬房が目立つという事象が起きているのである。

 そうした事情から、レースコース・サイドに新たな調教コースを造成する計画が具体化したのだが、当初、青写真に描かれていたのは、レースコース・サイドにある高低差20mほどの起伏を活かした、芝の坂路コースであった。ところがその後、実際にこれを使用する調教師に意見を求めたところ、2つの修正要求が出されることになったのである。

 1つは、高低差が20メートルでは不十分で、スタート地点を掘って下げるか、ゴール地点を嵩上げするかして、ウォーレンヒルに近いレベルの高低差を確保して欲しいということ。

 もう1つは、路面は芝ではなく、冬でも使用可能なオールウェザー素材にすべきだということ。

 これを実現するためには、高架橋を建設して、橋の上を路面としたコースを作る以外に方法がないことが判明。自然を活かしたコースしか造成したことのなかったザ・ジョッキー・クラブ・エステイツが参考にしたのが、諸外国に作られていた人工的な調教コースで、彼らが視察に出向いたいくつかの国の1つが、なんと日本であったそうだ。

 競馬発祥の地・英国が、新たな調教コースを作るにあたって、昨今各地の国際競走で台頭著しい日本を参考にするという、ある意味で革命的なことが起きていたのである。

 ザ・ジョッキークラブ・エステイツが作成した、完成予定図のCGがあるのだが、両サイドを壁で囲われた新コースは、確かにどこかで見たことがあるような構図だ。CGは、ザ・ジョッキークラブ・エステイツのホームページで閲覧可能なので、お時間のある方はぜひご覧いただきたい。

 馬用の走路の脇に、緊急車両用の幅2.7mの道路が併設され、安全面への配慮も行き届いているのが新コースだ。2020年の完成を、多くの関係者が心待ちにしている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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