◆至福の時を与えてくれる馬
誰しもが等しく経験していることがある。そうかなと思うかもしれないが、実はそれはかたちを変えているだけで、本当は少しも違っていないといった類なのだ。例えば、苦悩を繰り返して心を病んでしまった者がいたとする。それを見て、これは今の自分とは違うと感じていても、苦悩や哀切をともなわない人生ってないのだから、そうではないのだ。
でも、そこから脱却する方法はある、一時的かもしれないが。なにかひとつを素直に見つめていれば、いつか至福の時が訪れることもあるのだ。それは、ひとつの花であるかもしれないし、夢中になれるスポーツ、レジャーかもしれない。競馬にだってその力はある。毎週めぐってくる重賞競走の中に、自分にかわって至福の時を与えてくれる馬をみつけられればとチャレンジする。うまくいかないことが多いが、ここでAJC杯を勝ったタンタアレグリアに素直な心をあててみたら、何かいいことがめぐってくるとは思えないだろうか。蛯名騎手は、こんな思い描いたとおりのレースになるとはとビックリしていた。
昨年春の天皇賞で4着に入った後は、秋は全休。年が明け、ここから始動ということは、当然、春は天皇賞が目標になる。馬体がひと回り大きくなり、国枝調教師は、気性もどっしりしてきたと述べていた。こういうかたちになればいいと蛯名騎手が言っていたのは、この馬の持ち味が生きる流れで、例年よりも前半が速くなりスタミナがもとめられるようになったことが大きな勝因につながった。しかも久々のレースだから、道中はロスなく走らせようと願ったことに応えるように、インコースが空いていてそこにもぐることができ、そこで我慢して直線は一気に抜け出せたのだ。
慌てず騒がず、自分のペースで。その一点を見つめることで至福の時を迎えたタンタアレグリアと蛯名騎手に自分の心をかぶせて、苦悩や哀切を、しばし忘れてみようではないか。そして、至福の時を運んできたタンタアレグリアの次のチャレンジに思いを馳せるのも一興だ。そこでこうしなければいけないということはなく、思いは自由でいいのだから。