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平常の道を行く

  • 2017年03月09日(木) 12時00分


◆中庸の精神は身近な競馬にだって見つけられる

 行動は過ぎることなく、不足することもなく、平常の道を行くのが好ましい。この孔子の中庸の精神は、実生活に応用できることで、様々な知恵を生んでいく。実際に問題を解決しようとするとき、臨機応変の対応ができるのは、この中庸の心構えがあるからだ。千変万化、これもそうだろう。事に臨んで、どう対応するかの力は、こうした心構えから出てくるような気がしている。第一、この方が楽ではないか。

 多くの場面でもとめられている中庸の精神は、身近な競馬にだって見つけられる。

 クラシックの前哨戦を勝ち抜く馬の姿からも、はっきり見て取れる。弥生賞を最速の上がりで勝ったカデナは、復帰した福永騎手入魂の手綱だったが、そこには無理をさせたところはなかった。スローペースで後続馬には厳しい展開だったが、後方3番手から早めのスパートで外から進出し、測ったように逃げ馬をかわしていた。しっかり反応してくれて、これだけの動きをしてくれるとはと、福永騎手は興奮気味に語っていたが、調教の動きからもう少しという感触だったようで、もっと良くなると期待をふくらませていた。

 少し折り合いに苦労した面があっても、そのときのカデナなりの走りをさせたところに、平常の道を行く、人馬のこころを感じ取れたと言っていいだろう。若い馬だから、当然まだ課題はある。クラシックに向け、最終段階にきている中、どの馬も平常の道をどうやって進んで行くかが問題だが、本番でその姿をみせる努力は、まだしばらく続いていく。

 チューリップ賞のソウルスターリングも、万全の戦いぶりだった。スタートして5番手でぴたりと折り合い、2歳女王の貫禄の走りで、直線半ばでルメール騎手がうながすと、エンジンが入って加速し、後続を突き放していた。4戦全勝、無敗で桜花賞に向うが、一生懸命になりすぎないところがいいと藤沢和調教師が評価したように、チューリップ賞の勝ち方は、正にソウルスターリングの平常の道を行く姿そのものだった。ただし、牡牝それぞれ本番では、他にもそうした姿を見せる可能性のあるものがいる筈だ。残された日数、どれだけ成長してくるかが楽しみだ。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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